イトウクラフト

TO KNOW FROM FIELD

FROM FIELD

FIELDISM
Published on 2012/09/21

釣り人生のベストワンを
追い求めて

2011年9月、岩手県
アングラー=伊藤 秀輝
文と写真=佐藤 英喜

 ある世界的な冒険家について書かれた雑誌の記事を読んでいた時、とても興味深い内容に目がとまった。数々の輝かしい記録を成し遂げてきた彼は、国境をいくつも越え、見知らぬ地に身を投じ、過酷な冒険行におもむく時でさえ、徹底して「現場確認主義」を貫いたという。もちろん、装備や食料に関しては細心の注意を払って準備するものの、これから足を踏み入れようとしている場所とそこでの行動については、行ってみなければ分からないという部分をできるだけ広く取った。


 未知なるものと対峙するからこそ人は情報集めに走るのが普通に思える。けれどその冒険家は、情報に頼りすぎることの危険をよく知っており、知識に縛られることを注意深く避けた。「目の前の状況を素直に受け入れる」。それが彼の冒険に向かう際の心構えだった。

 そこに書かれてある冒険家の考え方が、伊藤秀輝の釣りと重なって思えた。


 ルアー、ロッド、リールといった釣り具はギリギリまで突き詰めながら、こと現場での釣りの組み立てについては、実際に川を見てから判断する部分を大事にする。


 水量や水色、魚の反応を直に見て、自らの釣りをきめ細やかにフィットさせていく。そうした現場での鋭い判断力、瞬時の適応力が、現在のますます厳しくなるフィールドの状況にあってなお、コンスタントな釣果を支えている。僕が釣り雑誌の編集者時代に伊藤と知り合ってから10年ほどが経つが、そんな彼の川との向き合い方は微塵も変わっていない。


「例えば15年前、20年前っていうのは、今みたいにインターネットで各地の雨量とか、川の水位や水色をパパッと調べることなんてできなかった。とにかく川に足を運んで、現場で様々なことを判断する。その日がどんな状況であれ、そこで学ぶことがたくさんあった。もちろん、ここ数日間の天候などから川の状況を読むことはできるけど、それでもやっぱり、現場に行ってみなければ判断できない部分はすごく大きいし、そこが重要なんだよ。そういう根本的な心構えは昔も今も変わらないね。ネットで検索して、川が渇水してるから、あるいは濁ってるからと言ってハナから釣りをあきらめてしまう人が今は多いかもしれないけど、そんな時でも現場で得られることは必ずあると思う。大変なくらい渇水してる川でも、まあ水が出た時のようには釣れないとしても、何かしらの糸口や攻め方がそこにはあるんだ。そこで、渇水期ならではの魚の着き場や有効な誘い方を発見できるかもしれない。そうやって経験値を地道に高めていかないと、好条件の一等地でしか釣れないということになってしまう。それでは技も増えない。現場でこそ、釣りの引き出しを増やせるんだよ」

 

 自分の魚は自分で探すということ。言葉の上からでなく、心の底からそう思っていること。自らの力で道を探す高揚感。釣りは、まさに冒険そのものなのだ。


 川に立って考えるのは、その日与えられた条件の中で、いかにしてベストな釣りをするかということ。どうしたら、その川の最高のヤマメを釣ることができるか。いつも想定するのは言うまでもなく、極限までにシビアな魚だ。とびきり警戒心が強くて、賢くて、だからこそ大きく成長しえたヤマメ。全ての感覚を研ぎ澄まして、川を静かに釣り上がっていく。


 昨年9月の釣行。東北の渓流シーズンも終盤を迎え、フィールド全体に人為的プレッシャーが蓄積している条件は誰もが同じ。それを嘆いても仕方ない。


 狙っているのは、この近辺の狭いエリアで育った居着きの大ヤマメ。2年、3年と、ここで多くのルアーマン、エサ釣り師、フライマンと渡り合い、数々の危険を用心深く掻い潜ってきた百戦錬磨の個体に伊藤は至上の価値を見い出している。


 ジンクリアの流れの中に、小さいながら宝石のようなヤマメがミノーを追うのが見えた。が、あえて食わせず元の着き場に帰した。とりわけ神経質な大物を狙うのだから、不用意にポイントを荒らすことで余計なプレッシャーを与えてしまうことは極力避ける。


「実際の魚の反応を見ることで、スレの度合いや活性状況をなるべく早くインプットすることが重要。ひと口に魚がスレてると言っても、それにはいくつもの段階があって、それをどれだけ早く、どれだけ細やかに見極められるか。その時の状況によって魚の着き場も追い方も変わるわけだから、釣り人だってそれに合わせて釣りを変化させる必要がある。簡単に釣れる時もあれば、ルアーへの追い方は消極的だけどちょっと誘いを工夫すれば口を使う時もある。誘いの技術もルアーの性能も全て出し切って、ようやく1回だけ反応してくれる時もある。あとは、予測、だよね。9寸クラスの魚でこの追い方なら、尺ヤマメの今日の捕食範囲は10㎝だな、とか。当然、魚の活性が低くスレが進行しているほど、道具の性能の面でも技術の面でもクリアしなければいけない壁はどんどん高くなっていく」


 カーブを曲がった先に、いい懐が現れた。絞られた瀬の流れが岩盤に当たって開いている。見たところ最深部で1mほどの深さがある。白泡を伴った流芯が真っ直ぐに走っており、そのヤマメは、まさに白泡の直下に刺さっていた。


 ルアーはボウイ50Sのプロト。性能については何度か紹介しているけれど、飛距離、レンジ、アクション、その全ての面においてシビアなシチュエーションを打破するトータルバランスに優れたシンキング・バルサだ。特に誘いの「自由度の高さ」、多彩なヒラ打ちを自在に繰り出せる操縦性は、「より早くヤマメの闘争心を引き出すことができる」と伊藤は言い切る。


 アップストリームで放たれたミノーが、流芯の頭に吸い込まれるように着水した。はた目には気付けない微妙な誘いのニュアンスをトゥイッチで表現していく。

 次の瞬間、息が止まった。目の前で青いパーマークを色濃くまとった大きな魚体が、ぶわっ!とひるがえった。バイトには至らず、ミノーがティップに帰ってくると、何事もなかったかのように白泡の流芯が音を立てて走っている。首からぶら下げていたカメラを慎重に構えた。一度高まった魚の興奮が冷めてしまわない内に、警戒心がぶり返さない内に、すぐさま伊藤がミノーを投げ入れる。


 2投、3投…、狭い狭い捕食範囲の中で、ミノーを繊細に躍らせる。一瞬でも「死に体」を作ったらきっとそれで見切られる。そしてまた最悪のミスバイトを防ぐために、ミノーは激しくぎらつかせながらもヒラ打ちの支点は動かしすぎないよう絶妙にコントロールしている。


 アワセが決まった瞬間は、ラインが何らかの違和感を伝達する前に、本能的に伊藤の体が動いた感じだった。ゴーロクULXのベリーとバットが七転八倒して暴れる大ヤマメのトルクをしっかり受け止めた。完璧に乗せた。この状態から伊藤が魚をバラしたことは僕は見たことがない。勝負ありだ。

 伊藤のネットに横たわったヤマメはとてつもない大きさで、メジャーを当てると41㎝もあった。この渓谷の限られた水域で生まれ育ち、今までどれほどの危機に身をさらしてきたのか。その生きる環境の厳しさが内から滲み出しているような色合い、シャープな体躯。雰囲気はまさに山深い谷で釣れる色の濃い居着きのヤマメそのもので、パーマークも鮮やかに残している。しかも、細かいパーマークが腹部全体を覆うマダラだ。

 その魚はいかつく鼻の落ちた雄で、マクロレンズでその目を覗き込むと険しい顔付きとは裏腹に、まぶたを彩るグリーンがとても鮮やかで優雅な気品を漂わせた。例えるなら、周囲の森を映し込んだジンクリアの深淵と同じ色をしていた。

 釣りをしない人からしたらどれも同じに見えるかもしれないヤマメの中に、僕らヤマメ好きの釣り人は一尾一尾の違い、サイズだけではない価値を見い出す。


 この川のポテンシャルを凝縮した「ベストワン」と呼ぶにふさわしい一尾が伊藤のネットに収まった。


 魚を眺めながら感慨深げに伊藤が言う。

「これこそがもっとも価値のある本物の大ヤマメだよ。出会える確率はほんのわずかだけど、こういうヤマメが確かにいるから、釣りを続けられるんだよな」


 これまで様々なタイプの大ヤマメを釣り上げてきた濃密な経験が、彼の言葉の背後に生きている。


「遡上型のヤマメとは明らかに異なるグロテスクな迫力、険しさがある。マスの血がまったく混じらない系統、ヤマメ100%の血でここまで大きく育った居着きの個体、古代からのヤマメの歴史を感じさせてくれる本当に貴重な魚だね」


 撮影の手を休め、周囲の深い森に目を向けると、この豊かな山の自然こそが素晴らしい魚を育んでいることに改めて感謝の気持ちが湧いた。ヤマメは、その環境の体現者だ。


 ふと、浅瀬で息を落ち着かせているヤマメを見ていると、目にしたことのない数百年前の光景がそこにあるような気がした。


 伊藤秀輝のひとつの冒険が完結し、そしてここから、また新しい冒険が始まる。


【付記】

居着きのヤマメ。しかも、その狭い水域で40cmを超えるまでに成長した大ヤマメ。腹部全体まで細かいブルーのパーマークに覆われたマダラ系の雄。過去に一度だけ、こうしたヤマメを目の当たりにしたことがあります。2005年秋、トラウティストvol.14の取材釣行で伊藤が釣り上げた43㎝の本ヤマメ。今回の41㎝と非常に似た個性の忘れがたきヤマメです。魚の価値を測るモノサシは人それぞれですが、僕はこの2本のヤマメに震えるほどの感動を覚えました。伊藤自身が宝探しに例えるほど出会う確率の低いヤマメを、二度もカメラに収めることができて、なんて幸せ者なんだろうとココロから思う次第です。

TACKLE DATA

ROD Expert Custom EXC560ULX/ITO.CRAFT
REEL Cardinal 3/ABU
LINE Super Trout Advance 5Lb/VARIVAS
LURE Bowie 50S prototype/ITO.CRAFT
LANDING NET North Buck/ITO.CRAFT

ANGLER


伊藤 秀輝 Hideki Ito


1959年岩手県生まれ、岩手県在住。「ルアーフリーク」「トラウティスト」などのトラウト雑誌を通じてルアーフィッシングの可能性を提案してきたルアーアングラー。サクラマスや本流のスーパーヤマメを狙う釣りも好むが、自身の釣りの核をなしているのは山岳渓流のヤマメ釣りで、野性の美しさを凝縮した在来の渓流魚と、それを育んだ東北の厳しい自然に魅せられている。魚だけでなく、山菜やキノコ、高山植物など山の事情全般に詳しい。
2023年12月6日、逝去。享年65歳。