イトウクラフト

TO KNOW FROM FIELD

FROM FIELD

FIELDISM
Published on 2011/05/30

釣りを支えに

2011年5月26日、山形県

アングラー=吉川 勝利
文=佐藤 英喜
写真=菅原 吉春、佐藤 英喜

 『赤川中流』

 吉川さんにとって赤川中流域は、三段堰堤を中心に釣り人が集中する下流域を尻目に、古くから自らの足と読みを頼りに開拓してきた思い入れの深い釣り場だ。もちろん三段で竿を振ってきた長い経験もあるが、群れが散らばる中流域は、より魚の居場所を探して釣る面白さが大きいと言う。ここにいる、ここで釣れる、という確信を持って釣れるからこそ釣りは面白いのだと言う。

 福島からの遠征者である吉川さんは、まったく驚くべきことに片道5時間もの道のりを走破してほぼ毎週平然と赤川に立っていたほどの筋金入りの赤川フリークなのだが、一時イスやライトによる場所取りの問題が見られるようになったり、また改修工事による河川環境の変化で著しく釣趣を欠くようなってから、吉川さんの足は次第に赤川から遠ざかっていった。


 それでも、赤川のサクラマスには心のなかでずっとこだわっていたのだ。どうせ釣るなら赤川で釣りたい。たとえ宝クジのような確率だとしても、あの赤川らしい太くて体高のある強烈なインパクトを備えたサクラマスをネットに収めたい。吉川さんに限らず赤川のサクラマスは東北に暮らす古くからのマス釣り師にとって、やはりひとつのブランドのようなものなのである。とにかく1本、ではなく、価値ある1本が釣りたい。それが吉川さんのマス釣りにおいては赤川の、それも中流域で読み通りに釣り上げた1本なのだ。


 そんな赤川中流域のとあるポイントに吉川さんが立ったのは、5月26日早朝のこと。
 天気のいい爽やかな朝。吉川さんは顔を出した美しい朝日にそっと手を合わせた。


「功君、頼むぜ」


『俺がやらなければ』


 この春、大切な仲間のひとりを失った。津波の犠牲となってしまった岩手県釜石市のフィールドスタッフ、菊池功さんへの思いが吉川さんを奮い立たせていた。


 悔しくて、つらくて、しばらくは何も手に付かなかった。けれど大好きなサクラマスを誰よりも熱く追いかけた功さんを思えばこそ、仲間として沈んだままではいられなかった。

「もう、考えれば考えるほど悲しくてしょうがないけど、功君のぶんまで頑張らないと。俺がやらなきゃ誰がやるんだっていう気持ち。正直ここ数年、俺はマス釣りに関して、ちょっと惰性になってた気がするんだ。最初の10年位は熱かったけども、やっぱりタイミングだよなあ、とか、だんだんと分かってきた気がしてね。でも今回は違った。そんなことは関係なく、絶対に釣ると思って川に立った」


 そう語る吉川さんもまた被災者のひとりなのだ。


 原発問題に大きく揺れる地元の南相馬市を離れ、現在山形で避難生活を強いられている吉川さんは、まったく先の見えない現実に苛まれ、一時はそのストレスで声が出なくなった。


 吉川さんは以前の仕事柄、原発事情に詳しく、それだけに現状の恐ろしさや難しさを強く感じているのだ。地元へ戻りたくても社会がまともに機能していない。経済が回っていない。昨年立ち上げた商売が上向いていたまさにそのときの出来事だった。


「ずっとずっと遠くに、針の穴ほどの光でも見えればそこに向かっていける。それも見えない暗黒の世界に叩き落されたよね。現在、未来、生活、仕事、全て奪われた。何を信用していいか分からない状況で、自分で情報を得て、自分の判断で動くしかない。例えば地元にある、警戒区域、計画的避難区域、緊急時避難準備区域、それとどの区域にも設定されてない所、その線引きや根拠が曖昧でみんな訳が分からなくなってる。これから先どうしていいのか分からなくなった。まあ、否定とか非難することは簡単なんだけど、それにしてもとにかく原発の問題が終息しないかぎり地元へは戻れないと思ってるし、ついこないだまでは本当に、大袈裟じゃなく暗闇しか見えなかった」


 そんな吉川さんの心を復活させたのが伊藤秀輝の言葉だった。


「電話で何度も話してるうちに、いままでの俺の人生観をだんだんと思い出すことができた。そうだよな、俺はそうやっていろんなことを乗り越えて生きてきたんだよなって考えるようになった。前を向いて行くしかないなって。新しく住む場所と仕事を探そうって、ようやく思えるようになったんだ」


 自宅へ戻り釣り具一式を車に積んで、吉川さんは川に立った。


 釣りをしている間は全部忘れられると言う。


 釣りが、文字通り生き甲斐だと言う
。

 釣りがなかったら、釣り仲間がいなかったら、絶対に立ち直れなかったと吉川さんは言う。


 僕は、想像し得ない恐怖や不安と戦っている吉川さんが竿を振りながら優しい笑顔を向けてくれるたび、何も出来ない自分が歯がゆくて仕方ない。いまだに慰めの言葉も思いつかない。頑張ってくださいとも言えない。ただ、うんうんと頷きながら話を聞くことしか出来ない。


『WOOD85』

 その朝、目星をつけていたポイントには先客が2人いた。しかし吉川さんの頭のなかには他にもいいポイントがたくさん書き込まれた赤川地図がある。


 すぐさま上流へ移動し向かったのは、程よく押しの効いたトロ瀬。


「マスの流れだよね」


 流れに立ち込んでいると足がジンジンしてくるほど水が冷たい。


 この朝一のポイントで、WOOD85の18gが吉川さんにサクラマスをもたらした。

「WOOD85は最終プロトでも完璧だと思ったんだけど、さらに出来上がった製品を使ってみたら泳ぎも飛距離ももっと凄くなってたもんだからビックリした。あれから伊藤さん、また何かやったんだね(笑)。これはもうミノーの観念を超えたルアーだよ。スプーンでも、ミノーでもない、WOOD85っていう新しいジャンル。それくらい他のルアーとは違う。あり得ないと思った。スプーンが逆引きに入ったときのような、あのギランギランと腰を振る動きがタダ巻きで演出できるし、とにかくゆっくり引けるでしょ。で、トゥイッチを掛けると、大きくヒラを打ってそこから起き上がる速さ、動きのキレがとんでもない。ピッチが細かいのに、ヒラ打ちひとつひとつのアピール力がでかいんだ。引き抵抗も軽いし、手首の軽いトゥイッチでヒラを打つから誘いの展開がすごくラク。タダ巻きでもしっかり誘えて、さらにトゥイッチで3倍、5倍のアピール力を簡単に出せるよね。ウッド素材の特性もあるんだろうけど、ウッドのなかでもこれは究極だと思う。飛距離もぶっ飛びだしね」


 ポイントの水深は最深部で1m50cmほど。対岸に向けてクロスにキャストしたWOOD85を底からおよそ3分目のレンジまで沈め、チョン、チョン、と軽くロッドアクションを加えながらドリフト気味に流して、狙ったスポットでゆっくりとターンさせる。ここで食うぞ。と身構えたが、無反応。吉川さんはリーリングをほとんど止め、ターンし終えたWOOD85をその場に置いておくようにして誘いを続けた。止めながら、トゥイッチを掛けて派手なヒラ打ちで刺激した。するとココンっと来た。すかさずアワせると、ゴンっとサクラマスの重みが乗った。


 最初にスプーンを4投した同じトレースコースに、WOOD85を投げ込んで一発でヒットした。ネットに収まったのは腹フックをがっぷりとくわえた60cmのサクラマスだった。

吉川さんが釣り上げた60cmのサクラマス

 吉川さんは伊藤に電話をかけ喜びを分かち合ったあと、コンビニ弁当を手に河原に腰を下ろした。

 川風が頬をなでる。ふっと気持ちが緩むと同時に、両目から涙がボロボロとこぼれ落ちた。


ここ数年は足が遠ざかっていたが、やはり赤川は吉川さんにとって特別な川なのだ

「なんか、突然込み上げてきちゃってさ。釣らせてもらった魚だなって。ありがとねって。それとね、開き直ったつもりでもやっぱり仕事のこととか、頭のどっかに残ってたんだ。いろんな思いが一気に溢れ出て、もう涙が止まらなかった。鼻水もズルズルよ(笑)。でもまたそこで気合を入れ直してさ、このマスは功君のぶんだから、次は俺のぶんを釣ろうってね」


『二本目』

 夕方近く、吉川さんは朝に入れなかったポイントへもう一度車を走らせた。朝とはまた別の2人組の釣り人がちょうど川を上がったところで、挨拶をかわしてその場所に入った。

 サクラマスはきっといる。流れを見てそう確信した。しかしルアーにスレているのも明らかだった。今度はWOOD85の14gを結んだ。より優れたレスポンスを活かして、追い気のない魚の攻撃性や好奇心を引き出す作戦だ。

「大きいヤマメもそうなんだけど、食性以外のスイッチを押して、興奮させて、そんで口を使わせる釣り。WOOD85であればそういう誘いが100%演出できるんだ」


 着き場は完全に絞り込んでいる。そのスポットを集中して、細かく、且つハイアピールなヒラ打ちで攻める。およそ15投目。ドンっ!と力強いバイトがあった。反射的に鋭くアワセを決めた吉川さんの顔に、会心の笑みが浮かんだ。


 一瞬とはいえ、全てが忘却の彼方に吹っ飛んでいった。


 2本目の赤川サクラはまたもや腹フックを口にくわえた57cmだった。

  1. この日2本目の赤川サクラを手に。川歩きの経験と読みがハマった瞬間。1本目に比べサイズは落ちたが価値ある1本には違いない

     

 これが、吉川さんのぶんの魚だ。



「うーん、いや、これも功君の魚にしよう。自分のぶんはまた6月に釣るから。頑張ってもっと釣るから。1匹2匹じゃ功君に怒られるよ。吉川さん、何やってんのーってね(笑)」

同じ福島の釣友。左が高伊さんで右が金澤さん。2人とも浪江町にあった自宅は津波にさらわれてしまったが、いまは前を向いて生きている。釣りの面白さや難しさについて明るく語り合っていた

TACKLE DATA

ROD Expert Custom EXC860MX /ITO.CRAFT
REEL LUVIAS 3000 /DAIWA
LINE Super Trout Advance Big Trout 10Lb/VARIVAS
LURE Wood 85 /ITO.CRAFT

ANGLER


吉川 勝利
Katsutoshi Yoshikawa

イトウクラフト フィールドスタッフ

1965年福島県生まれ、福島県在住。生まれ育った福島県浜通りの河川を舞台に、数々の大ヤマメを釣り上げてきたが、東日本大震災および原発問題によりホームリバーを失い、現在は中通りに居住する。サクラマスの経験も長く、黎明期の赤川中流域を開拓した釣り人のひとりである。