FROM FIELD
伊藤 大祐
FIELDISM
Published on 2017/07/28
無音
文=佐藤英喜
人は何かに意識を集中させる時、それまで聞こえていたはずの周囲の音が聞こえなくなり、時間までもが止まっているかのような感覚に陥ることがある。
釣り人の意識の中で、止まっていた時間が再び動き出すのはランディングネットに収まったヤマメに、ふと視線を落とした時だ。
ネットの底では、この小渓流を釣る上で釣り人も想定していなかった大きさの、36cmもあるいかつい雄のヤマメが険しい表情で息を荒げている。
伊藤大祐の場合、これは!と思えるようないい魚が自分の操るルアーにチェイスした瞬間に時間が止まる。突然の大物との対峙。思わず体がビクッとしてそのまま思考もろともフリーズしてしまったり、思うように体が動かなかったりするものだが、「ビクッとはしない(笑)。いい意味で、ぞわっとして、フッと力が抜けるような感じかな」と語る。
深い森に囲まれた渓流は、静かなようでいて実は様々な音に溢れている。川の流れが立てる音や木々の葉音、あるいは野鳥のさえずり、それらの音が常に耳に届いている。
しかし、その時だけは音が消える。
「いい魚をすくった時はいつもそうだけど、チェイスが見えた瞬間から、全くの無音の世界になってたことに気づく」
この日もそんな魚に出会うことができた。
ざっくり状況を説明すると、まずこの川にはヤマメの稚魚放流が行なわれているが、大祐がこれまで釣行した範囲の感覚では、3割ほどの割合で本ヤマメらしい個体が混じる。その本ヤマメと思しきヤマメ達はやはり個性的で、サイズに関わらずグロテスクな迫力を感じさせる魚が多い。それが見たくて、何度か足を運んでいるのだ。まだ完全に探り切ったわけではなく、他にどんなポイントがあってどんなヤマメがいるのか、未知の楽しさが残っているところも、この川が好奇心の対象になっている理由のひとつだ。ヤマメのサイズは川の規模が小さいので「9寸が出れば嬉しい」「もし、その本ヤマメ系統の尺上がいたら格好いい魚だろうなあ」という心持ちでこの日もロッドを振っていた。
朝一の入渓地点から3時間ほど釣り上ったところで、小さな淵に出くわした。
そこで、小渓流用に開発中の新型バルサミノーに、尺上どころか30cm中盤はありそうなヤマメがチェイスを見せた。スピード感はなく、食わずにUターンした。
ぞわっとして、時間が止まる。
二投目、再びそのヤマメは姿を見せたが、1mほどチェイスしたところで追うのを止め、じっとミノーを見送っている。三投目、四投目も同じだ。
「ルアーに対する興味が薄くて、なんか、ルアーというものを思い出してる感じ」
五投目にはチェイスそのものがなくなり、六投目も無反応。
しかし、勝負はまだ終わっていない。
ここまでの六投、実は全てのキャストでミノーのアクションを微妙に変えている。
「スレた魚に対して、一辺倒のヒラ打ちではやっぱり難しい。その魚に合ったアクションが必要だよね。幼魚の頃にルアーを見たとか、食ったことがあるとか、そういうトラウマになっている映像からかけ離れた興奮スイッチを探る。ただし、魚のヤル気がすとんっと落ちてしまうアクションもあるから、そのリスクをカバーしつつ、最低限の活性を維持させながら、ヤマメの挙動をよく見て答えを探っていく」
あとになって思い出した時、あり得ない所まで見えていたなと思うらしい。時間が止まるほど意識が凝縮した中で、だからこそヤマメの本当の細部まで目に映る。
「チェイスのスピードだけじゃなく、例えば各ヒレの動き、水流に対して尾ビレの付け根で水を掻く強さ、胸ビレの角度を変えていつでもストップできるのか、それともそのまま口を使うのか。そういう一瞬のニュアンスによって、次のヒラ打ちや食わせ方が違ってくる」
魚との一対一の勝負が何より楽しい。もちろん魚が見えていない一投目から、食わせるつもりで攻めるけれど、魚が見えてからの駆け引きはさらに面白いと語る。
「一瞬の隙も見せられないし、コンマ一秒も無駄にできない」
魚が見えれば、そのコンマ一秒を正確に意識できる。
七投目、いったんは沈黙した淵のヤマメが、またミノーを追った。
ヤマメの動きが、さっきまでのチェイスよりスローモーションに見えたと振り返るが、それはより集中力が高まったためだろう。
立ち位置からヤマメまでの距離、約4m。釣り人にはテールフックの揺れまで見えている。
「ヤマメとミノーの距離があと5cmの所まで来て、ようやくパコッて口を開けた。大口ではなく1cmくらい開けただけで、軽くつつくような浅い食い方。ギリギリだったね」
そこまで見えているからこそヤマメが口を使う瞬間には、すでに竿先を送ってラインスラックも巻き取ってあった。そして次の瞬間、これ以上ない完璧なタイミングとスムーズさで、フッキングが決まる。
パーマークをはっきりと浮かべた36cmの野性的な雄を目に、大祐は鳥肌が立ったと言う。
「今まで釣ってきたヤマメと違う、この魚だけが持つインパクトがあって、特に気に入ったのは、いかにもスピードがありそうなフォルム。まるでF1マシンみたいに、低重心の美しいシャープなラインで構成されたボディが最高に格好良かった」
無音の世界で出会った素晴らしいヤマメに感謝し、その魚体を元いた流れに戻すと、いつの間にか川の音や木々のざわめきが、耳に戻っていた。
TACKLE DATA
ROD | Expert Custom EXC510UL/ITO.CRAFT |
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REEL | Cardinal 33/ABU |
TUNE UP | Mountain Custom CX /ITO.CRAFT |
LINE | 832 Advanced Super Line 0.4/SUFIX |
LEADER | Grand Max FX 1.2/SEAGUAR |
LURE | Bowie 42S[Prototype]/ITO.CRAFT |
LANDING NET | North Buck/ITO.CRAFT |
ANGLER
伊藤 大祐 Daisuke Ito
イトウクラフト スタッフ
1982年岩手県生まれ、岩手県在住。幼少期から渓流の釣りに触れる。「釣りキチ三平」の影響も大きく、エサ釣り、テンカラ、フライ、バス釣りなど様々な釣りを経験する。工業デザインやCGを学んだあと、デザイン会社での経験を経てイトウクラフトに入社。自社製品の製作を手掛けるかたわら、商品開発/試作/テスト/ウェブ/各種パッケージ/広告/カタログ/などのデザインも行なっている。