イトウクラフト

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大ヤマメの世界
Published on 2015/10/09

大ヤマメの世界 その6
『藍色の幼魚斑』

2014年9月
アングラー=伊藤 秀輝
文=佐藤 英喜

 山の凛とした空気に秋の深まりを感じる頃、ヤマメの天然種、本ヤマメが棲む川を訪れた。

 野生の荒々しさと美しさを凝縮した、これこそ渓流の宝石と呼べる本ヤマメに会いに行くことは、伊藤にとってもう30年も続けているライフワークだ。

 伊藤がこれまで開拓してきた膨大な河川群にあって、数少ない本ヤマメのいる川は言うまでもなく特別な存在である。撮影で同行する側にとっても、彼らのワイルドで個性的な姿を目の当たりにできるのは極めて貴重な体験だが、同時に、個体の希少性や棲む環境の厳しさ、そして、カメラマンの不用意な物音まで敏感に察知する強い警戒心を思うと、本ヤマメ釣行は何年経っても独特の緊張感を抱かせる。生まれたばかりの幼魚の頃から、狭く限られたエリアの中であらゆる身の危険をかいくぐってきたからこそ彼らはほんのわずかな違和感も見逃さない。その驚くべき危機回避能力に、本ヤマメの野性と生きる強さを伊藤は感じている。

 過去の記事で、伊藤が思い描く理想のヤマメとして居着きの大ヤマメを取り上げてきたが、その居着きヤマメの代名詞が本ヤマメだ。さらにその大型ともなれば、魚体の素晴らしさ、出会える確率の低さ、釣り上げる難易度、どれを取っても究極の一尾と言える。

 幾多の川の歴史を知り、そこでたくさんのヤマメを見て、それぞれの個性と周囲の環境を丹念に照らし合わせる。伊藤はその長い経験から、釣り上げたヤマメの素性をうかがい知る目を養ってきた。単純にヒレなどのコンディションうんぬんといった次元ではなく、伊藤のヤマメを見る目は驚くほど細部にまで及んでいる。そもそもそういう目を持っていなければ、本ヤマメや居着きヤマメを求めることはできないのである。

 ヤマメはヤマメでも、伊藤の場合そうした魚の『質』への純粋な追求が、釣りの技術と道具をイチから生み出し、そして今もなおそれらを進化させる原動力となっている。

「釣りが上手くなるには、まずはヤマメの生態を知ることが第一条件。ヤマメが本当に好きだからこそ、その探究心が湧いてくる。それが全ての始まりであってベースになってる。ヤマメやイワナはもう、子供の時分に川に潜って遊んでた頃からずっと見てるし、どんな流れやポイントに着いてるのかなんて、考えるまでもなく経験的に分かってることだけど、さらに長年釣りを通して、居着きヤマメのテリトリーの持ち方とか捕食行動の特徴、流れの好み、棲み家の状況、そういう彼らの生態や習性を注意深く観察してきたことが大きな財産になってる。もちろんルアーに対する魚の反応、どんなアクションが効果的なのかも、幾度も経験してきた。そのために必要な道具、ロッドやルアーが当時の世の中になかったから自分で作ってきた、というのが現在に至るまでの流れだよね。全ては魚の生態ありき」

 誰よりもヤマメが好きだし、誰よりも魚のことを深く知りたいと思ってるからね、と伊藤は笑う。それが難しいヤマメを釣るためには必要なことなのだ。

 目先の結果ばかりを重視するのではなく、ヤマメの生態そのものを知ることで、どんな場所でも、その魚、その状況に合った攻め方が展開できるようになる。大事なのは、そのヤマメの根本にある性質に自分で気付くこと。人から聞いたのと、自分の経験から気付いたのとでは、その意味の深さが全く違うと伊藤は言う。

 そうやって伊藤は、まさしく渓流ルアーフィッシングのベーシックを作り上げてきた。

 そのひとつの例が、ミノーのヒラ打ちである。

 特に自身が理想として思い求める居着きの大ヤマメについては、その難しさを身に染みて知っているからこそ、「こうすれば釣れる」といった単純なメソッドやパターンを知ったふうに語ることはしないけれど、それでもヒラ打ちの有効性には揺るぎない確信がある。ひと口にヒラ打ちと言っても様々なバリエーションが存在し、ヤマメ一匹一匹のツボに応じたピッチやテンポでヒラを打たせなければ本当の効果は得られないと言う。ヒラ打ちの意味や重要性に関してはまた次回に細かく書くつもりだが、長く魚を手にしてきた釣り人の言葉には、やはり真実が詰まっている。

「時代が変わっても、魚の生態や本能が変わるわけではないからね。釣り人によるスレが作用しても、魚達は本来の性質をベースとして今の状況に対応してるに過ぎない。例えば、プレッシャーで着き場が変わってるとしても、その移ったポイントもどこかにヤマメの好む条件が入ってるんだよ。流速だったり、流れのヨレ具合だったり。そういう基本を知っていれば、より正確に着き場を把握できるし、それによって完璧な立ち位置をとることができる。ルアーに対する反応も同じことで、絶対に変わらない基本がある。このアクションはたまらないっていうものが確かにある。だからこそ、まずはヤマメの生態を深く理解して、その上で彼らが置かれてる状況に合わせた釣りを展開しないと、コンスタントにいいヤマメとは出会えないよね」


 この日の釣りに話を移すと、ヤマメの個体数は決して多くないものの、伊藤がヒラを打たせるミノーにぽつぽつと口を使ってくれた。

「初めて見つけた時から、ここの本ヤマメは変わってないな」

 ここは伊藤が25年ほど前から、年に数回は欠かさず足を運んでいる川だ。

 釣り上げたヤマメを眺め、その系統が今も変わっていないことに笑みを浮かべる。サイズは8寸から、良くて9寸。どれもくっきりと藍色のパーマークを浮かばせている。

 この川に限らず伊藤が見せる本ヤマメは、小さな幼魚だけでなく大きく成長した個体でさえパーマークが鮮やかに残っている。

 これは何を意味しているのだろう?

 パーマークのパーとは鮭科魚類の幼魚を指す言葉で、日本語で言えばパーマークは幼魚斑となる。一般的には成長するに連れて、次第に薄くなっていくものだ。

 もともとこのパーマークは、魚体を周囲に溶け込ませ外敵から身を守るためのカモフラージュの役割を果たしていると伊藤は言う。

「本ヤマメには、弱い幼魚期だけでなく、大きく成長してからもパーマークを鮮明に残して身を守る必要があるということなんだ。本ヤマメが暮らす環境を見れば一目瞭然だけど、山深い渓谷で鳥など捕食者となる野生動物も多い。そういう外敵から狙われやすい厳しい環境の中を生き抜いてる証が、パーマークに現れてるんだよ」

 今を生き抜くための術、そのひとつが大物でさえ鮮やかに浮かぶパーマークなのだ。

 ただし大物とは言え、本ヤマメの川は本来エサの量も少ないため、例えば尺を超えて大型化することは稀である。加えて現在の本ヤマメを含む居着きヤマメは、年々強まる釣り人のプレッシャーによって、エサを取ることよりもまずは身を隠すことを優先せざるをえず、さらに小型化が進んでいると伊藤は感じている。

「この川も、魚のサイズで言えば尺がマックスかな。今日はそれが見られれば最高だね」

 そう言って釣り上がっていく。

 この日は渇水やスレも影響して、「2~3割増しの好条件が絡んだポイントじゃないと、いいヤマメに口を使わせるのは難しい」と考えていた伊藤の前に、とあるポイントが現れた。

 決して大場所ではなかった。

「でも、コンパクトではありながら、ヤマメの着く条件がきちんと整ってた」

 人によっては1投であっさり通過してもおかしくないポイントだが、伊藤はより神経を研ぎ澄ましていた。出会い頭ではなく、確かに予感めいたものがよぎっていたことは、その緊迫感から見ていて気付いた。

 1投、2投、3投と、アップストリームで静かにキャストを重ねた。繊細なトゥイッチでボウイにヒラを打たせる。特別深いポイントではないが、ちょうど逆光となり、流れの底まで見通すことはできない。

「追ってくる魚影も見えてはいないんだけど、足下まで追ってくるイメージで、誘って、誘って、ここで口を使ってくるなという所で食わせのタイミングを入れたら、ドンッ!と来た」

 見渡す状況からはまるで想像もできない場違いな激しさで、まさに『ドンッ!』と伊藤のゴーイチに魚の重みがのしかかった。驚きつつも伊藤に慌てる様子はなく、その魚がネットに収まるまであっという間の出来事だった。

 すくったヤマメを覗き込んで、伊藤が興奮の声をあげた。ザバザバと急いで駆け寄り、ヤマメを見せてもらうと、ネットの中には目を疑うばかりの途轍もない魚が収まっていた。


「ルアーを食って反転した瞬間に、ちらっとパーマークが見えたけど、声が出なかった。サイズもサイズだし、このパーマーク…。これは凄いな」

 ありきたりな言葉で飾れば飾るほど魚の価値が安っぽくなるような気がしてならないから、とにかく写真をじっくりと見て欲しいのだが、いつも伊藤が言う本ヤマメの魅力が、この一尾には凝縮していた。生きる環境の厳しさを体現する野性味、その内面にある力強さをハッキリと浮かべた大ヤマメ。メジャーを当ててみると38cmもあった。


「尺が限界だと思ってても、やっぱり分からない部分がある。これが野生の怖さだよな。この先この川に通ったとしても、もうこれほどの魚とは二度と出会えない確率の方が高い。生きてる内に、もう一回あるかないか…。25年通って今回の1本だから、次に会える時は80歳オーバー? ないかあ(笑)」

 この川で言えば、10年に一匹とか、20年に一匹とか、そんな途方もない確率でしか生まれない個体じゃないかな、と伊藤が言うそばで、一生に一度その姿を見られるかどうかという魚と、この釣り人はいったい何度出会うのだろうと冷静に考えたりもする。

「100%本ヤマメの血をもった、これだけの魚に会えて心が震えたし、こんなに凄い本ヤマメがいるんだということを、ヤマメ好きのみんなに見せられたことが嬉しい」

 古代からの血を引く原種。釣り文化など始まるずっと以前から続いている系譜がここに残されている。その意味はきっと大きい。日本全国で失われつつあるヤマメという魚の野性を、本ヤマメは僕ら現代の釣り人に今なお見せつけてくれる。

「本ヤマメ釣行は自分にとって夢探しのようなものだけど、これほどの出会いがあって、もう完結してもいいくらい(笑)」

 もちろん、やめられるわけがないのである。誰より本ヤマメの価値を知っているからこそ、誰より情熱を燃やしているからこそ、この魚とも出会えた。

 藍色の幼魚斑を鮮明に浮かべた大ヤマメが、もといた流れに帰って行った。



【付記】
夢中になってシャッターを切りながら、その生きた姿を写真だけじゃなく脳裏に焼き付けられたことは、撮影者として文字通りかけがえのない幸せな体験でした。それほど貴重な個体であり、『一生忘れらないヤマメリスト』に、また一尾、素晴らしい魚が加わりました。

TACKLE DATA

ROD Expert Custom EXC510ULX/ITO.CRAFT
REEL Cardinal 3/ABU
TUNE UP Mountain Custom CX/ITO.CRAFT
LINE Cast Away PE 0.6/SUNLINE
LURE Bowie50S/ITO.CRAFT
LANDING NET North Buck/ITO.CRAFT

ANGLER


伊藤 秀輝 Hideki Ito


1959年岩手県生まれ、岩手県在住。「ルアーフリーク」「トラウティスト」などのトラウト雑誌を通じてルアーフィッシングの可能性を提案してきたルアーアングラー。サクラマスや本流のスーパーヤマメを狙う釣りも好むが、自身の釣りの核をなしているのは山岳渓流のヤマメ釣りで、野性の美しさを凝縮した在来の渓流魚と、それを育んだ東北の厳しい自然に魅せられている。魚だけでなく、山菜やキノコ、高山植物など山の事情全般に詳しい。
2023年12月6日、逝去。享年65歳。