イトウクラフト

TO KNOW FROM FIELD

FROM FIELD

大ヤマメの世界
Published on 2014/05/02

大ヤマメの世界 その3
『大ヤマメを釣る感性』

2013年9月
アングラー=伊藤 秀輝
文と写真=佐藤 英喜

 釣りは理屈だけでは成り立たない。

「言葉で簡単に説明できるセオリーなんて、大ヤマメにはないよ」と伊藤秀輝は言う。

 もちろん、深く考えたり記憶を整理したり、論理を組み立てたりする作業も大事だけれど、それだけでは辿り着けない領域が大ヤマメの世界にはあるのだ。

 ある時、大ヤマメを釣る難しさを伊藤に尋ねると、彼はこんな話をした。

「すべては経験から学ぶことなんだよ。常に答えは、川や魚との触れ合いの中にある。釣れても釣れなくても、とにかくフィールドに足を運んで、自然の中に身を置き、ひとつひとつの体験を積み重ねていくことが大切。多くの経験は、知識や技術だけじゃなく、釣り人としての感性を育てる。考える力と感じる力、どちらも必要なものだからね。『手っ取り早く雑誌や誰かから教わろう』という気持ちではむしろ遠回りになっちゃうし、それでは絶対に辿り着けない答えが多くあるんだよ」

 少なくとも伊藤は、ずっとそう考えて釣りを続けてきた。そして今の釣りがある。

「今の自分を支えているものって、やっぱり経験の蓄積だから」

 情報や単純な理屈は家にいても頭に入れることができる。しかし、経験とそれを土台とする感性だけはフィールドで自らが磨いていくものだ。

「現場では論理的に考えるべき時もあれば、感性が答えを導き出す時もある。たとえば、水面から伝わる大ヤマメの気配やルアーを襲う雰囲気、そういうものを感じたことはあるかな。これは完全に感性でキャッチする部分。水の条件についても、水量とか水色とか、目に見える要素だけで判断してるわけじゃないんだ。水の重さ、軽さ、粘りといった数字では量れない要素からも状況を読む。他にも川や周りの魚が発するさまざまなシグナルを、どれだけ繊細に感じ取れるかで結果は大きく違うよ」

 雲をつかむような話に聞こえるかもしれないが、過去の釣行を思い返してみると、伊藤が「水の重さ」について語ることが確かに何度かあった。僕には理解できないけれど、感受性の豊かな釣り人というのは、より多くの大切な「何か」に経験的に気付いている。それは間違いない。


 さて、写真の大ヤマメについて話をしよう。

 2013年晩夏のある日。伊藤は10数年振りにその川へ遠征をかけた。

 そこへ通い始めたのは今から25年ほど前のこと。

「釣りを学んだ川、原点のひとつと言える川だね」

 久しぶりに訪れ、手始めに見て回った下流部は、改修工事による環境の変化が目につき、さすがに時の流れを痛感させられた。

 しかし本命の上流部へ車を走らせると、特に伊藤が大好きだった区間は、奇跡的にも当時と変わらない渓相で迎えてくれたのだった。川に降り、懐かしさに頬を緩めながらどんどん遡行していく。

「うん、ヤマメの系統も変わってないな。20年前と変わらない本ヤマメだよ」

 釣り上げたヤマメの姿をまじまじと眺めては、天然種と思われるその系統が今も川に息づいていることを伊藤は何度も確信した。

 ただ、サイズはどんなに頑張っても9寸止まり。プレッシャーによる魚のスレも気になった。

「でかいヤツがいる雰囲気は、今もあるんだけど」

 2回目の釣行時、前回川を上がった地点から釣り上っていくと、その魚は姿を現した。淵の真ん中を通る流芯の底で、ゆっくり大きな魚体が反応した。小さく鈍い動作だ。

「ヤマメかイワナか、はっきりとは見えなかった。でも、胸の辺りがざわざわして、とてつもない魚と対峙してる気がした」

 その後は数投して無反応。伊藤は深追いせず、次回に勝負を持ち越す判断をした。もちろん、間隔を空けることで他の釣り人がこのポイントを攻めるリスクも生まれるが、しかしそう簡単に釣り上げられる魚ではないと感じた。

 ひと口に大ヤマメと言っても、その系統や生息環境によって本当にさまざまなタイプの大ヤマメが存在する。これまでも何度か触れてきたが、伊藤が理想として追い求めているのは、居着きの、しかも本ヤマメ系統の大ヤマメだ。個体数の圧倒的な少なさに加え、限られた狭いエリアで多くの釣り人に攻められながらもその大きさになるまで育った賢さ。釣り上げる難易度の高さと、そして何より魚体の素晴らしさに価値を感じている。

 その淵で出会った魚も、きっと居着きの本ヤマメの大物だ。最高の相手を想定して臨んだ3回目の釣行は、しかし空振りに終わった。淵は沈黙、他のポイントは気配すら感じられなかった。4回目のトライも結果は同じだった。

 普通に考えるとこの場合、釣行回数を重ねるほど状況は難しくなっていく。自分自身のプレッシャーが蓄積していくからだ。当然それは織り込み済みで伊藤は釣りを組み立てている。

 居着きの大ヤマメは、たとえ水が入れ替わってリフレッシュしても、スレの回復幅が極端に狭いと伊藤は言う。だから難解を極める。何年、何シーズンと実際に釣り続けてきた釣り人だからこそ、ほんとうの難しさを肌で感じ取っている。

 5回目の釣行。遂に決着がついた。予想通り、フックに触れるか触れないかのショートバイト。大ヤマメとのコンタクトはいつだって紙一重だ。

「針先ひとつが甘くなっていたり、糸ヨレでたまたま集中力が乱れたり、そんな時にチェイスがあったらせっかくの出会いが水の泡だよ。ほんの小さなミスですべてが終わってしまう」

 理想の大ヤマメ、38センチの雄が、完璧な釣りを貫いた伊藤の手に収まった。

「数が少ないからこそ、そして、今はまだ何とかぎりぎり出会うことができているからこそ、この見事な姿を記録していきたいと思うんだ。放流魚の系統なら、仮に一度大きなダメージを川が受けても放流によっていつかは復活する。でも、天然種はそうはいかない。途絶えてしまったら戻らない」

 これまで味わった数多の感動を、伊藤は写真集として残す計画を進めている。この日出会った素晴らしい大ヤマメも、間違いなくその1ページに加わるだろう。

 

TACKLE DATA

ROD Expert Custom EXC510ULX/ITO.CRAFT
REEL Cardinal 3/ABU
TUNE UP Mountain Custom CX/ITO.CRAFT
LINE Cast Away PE 0.6/SUNLINE
LURE Bowie50S/ITO.CRAFT
LANDING NET North Buck/ITO.CRAFT

ANGLER


伊藤 秀輝 Hideki Ito


1959年岩手県生まれ、岩手県在住。「ルアーフリーク」「トラウティスト」などのトラウト雑誌を通じてルアーフィッシングの可能性を提案してきたルアーアングラー。サクラマスや本流のスーパーヤマメを狙う釣りも好むが、自身の釣りの核をなしているのは山岳渓流のヤマメ釣りで、野性の美しさを凝縮した在来の渓流魚と、それを育んだ東北の厳しい自然に魅せられている。魚だけでなく、山菜やキノコ、高山植物など山の事情全般に詳しい。
2023年12月6日、逝去。享年65歳。