イトウクラフト

TO KNOW FROM FIELD

FROM FIELD

FIELDISM
Published on 2012/03/30

二度追わせ
その1

2011年8月、岩手県
アングラー=伊藤 秀輝
文と写真=佐藤 英喜

 初めてそのシーンを見た時、僕は文字どおり驚愕した。


 それまで自分なりに楽しんでいた渓流釣りに、こんなにも奥深い領域があったのかと、すっかり打ちのめされた気分になった。そして、この釣りがますます面白くなった。


 今から7、8年前の、とある渓でのことだった。


 伊藤秀輝がミノーをキャストするのを、僕は後ろから見ていた。するとスナッピーなトゥイッチでヒラを打たせた蝦夷に、様子をうかがうようにヤマメがすーっとチェイスを始めた。どこかヨソヨソしい追い方だが尺を優に超えている、いいヤマメだ。


 結果からいうと、このチェイスでそのヤマメはルアーにバイトしなかった。正確にいうと、あえてバイトさせなかったのだ。そのとき伊藤は大袈裟じゃなく、手元の操作でミノーをコントロールしながらヤマメをも意のままにコントロールしていた。


「ルアーに対する魚の追い方を見て、このポイントの流れ、このミノーの引き方では無理にバイトに持ち込んでもバレる確率が高い、っていう判断だよね。追い始めた時点で何か不信感を抱いてるヤマメは確かにいるし、1~2mのチェイスで、ヤマメのルアーを噛む力を察知する。このまま食わせたら噛む力が弱くてバレやすいなと思ったら、それが魅力的な魚であるほど、強引にはならずあえて元の着き場に戻してやって、次のキャストで確実に釣る道を選択する。深追いさせて釣り人の気配を悟られたり、足下で皮一枚のバイトになったりするよりは、その方がずっと釣れる確率は高まる。いいヤマメほど、一回バラしてしまったら次のチャンスは二度とないからね」


 最初のチェイスで足りなかった何かを、この時は立ち位置を微妙に変えることで補い、よりガッチリとルアーにバイトさせる。そして伊藤は次のキャストで、その尺ヤマメを釣り上げたのだった。


 この『二度追わせ』は、伊藤の釣りにおいては当時から特別な芸当でもなく自分でフィールドで考えて至極当たり前のようにこなしていたものだったが、初めて目の当たりにした僕はとにかく驚いた。尺ヤマメがチェイスしている真っ最中に、僕ならルアーを食わせることしか考えられないその切迫したわずか2秒、3秒の間に、伊藤の頭の中には余裕と他の選択肢の引き出しがまだまだあるのだ。あえて最初のチェイスでは食わせず、二度目のチェイスで確実に釣るという発想と、それを可能とする技術が存在することが僕は信じられなかった。

一度チェイスした魚を元の着き場に戻して、狙い通りに二度目のチェイスで釣り上げた32cm

 どこの渓谷もルアーや釣り人の存在を知っているシビアな魚で溢れている今、伊藤がこの『二度追わせ』を駆使する場面は増えており、ここで紹介している32cmのヤマメも、その最初のチェイスから判断して、あえて二度追わせて釣り上げた魚だった。

尺ヤマメがチェイスしバイトしたのはバルサ蝦夷50S。最良のレスポンスがスレた魚を誘い出す

 伊藤の釣りに同行するとこうしたシーンを目にする機会は少なくないのだけど、そんな今でも疑問に思うことはたくさんある。


 まず何より、元の着き場に戻したヤマメがそのまま沈黙してしまうという不安はないのだろうか?


 伊藤は、「ない」と言い切る。


「不安はないというより『二度追わせ』は自分にとって、より確実に釣るための安全策だから。絶対に二度目のチェイスで引き出せるという確信があるからこそ、最初のチェイスでは食わせない。そのまま沈黙して魚が出てこないとしたらそれは釣り人の判断のミス。もちろん、この魚が反応するのは一度っきりだなと判断した場合は、その一発目の反応で口を使わせることを考えるよ。それとシチュエーション的に、たとえば立ち位置やルアーの着水点がそこしかないとなったら、バレる確率が五分五分でもそこで勝負する。ひとつとして同じ状況はないし、魚の反応も一匹一匹が違う。そこを見極めて、仕掛ける。これ!っていう絶対的なパターンなんてないわけでさ、あえて二度や三度追わせて食わせるにしても、その時その時のポイントや魚の追い方によっていろんな要素が複雑に絡み合って成り立ってるんだよ」


 伊藤は、意味や理屈を分からずにいたずらに勝負を持ち越しても、せっかくあった釣れる確率を逆に下げることにもなるという。


 話を聞けば聞くほど、到底僕には真似できないなと思いながら、やっぱりこの釣りの面白さと奥深さにますますのめり込んでしまうのである。

【付記】
けっして理論倒れにならない超現場主義、小手先の技術ではなく魚の本質を見抜いた駆け引き。それらが凝縮した『二度追わせ』。今回はそのベーシックな部分について触れましたが、ヤマメ釣り師なら興味津津のさらに踏み込んだ話も聞いていますので次回をどうぞお楽しみに。
いつもながら、こちらの質問に対し溢れるように出てくる経験の言葉に、自分が触れている世界にはまだまだこんなにも面白い未知の領域があったのかと今も驚くばかりです。

TACKLE DATA

ROD Expert Custom EXC510ULX /ITO.CRAFT
REEL Cardinal 3 /ABU
LINE Super Trout Advance VEP 5Lb /VARIVAS
LURE Balsa Emishi 50S[GYM] /ITO.CRAFT
LANDING NET North Buck/ITO.CRAFT

ANGLER


伊藤 秀輝 Hideki Ito


1959年岩手県生まれ、岩手県在住。「ルアーフリーク」「トラウティスト」などのトラウト雑誌を通じてルアーフィッシングの可能性を提案してきたルアーアングラー。サクラマスや本流のスーパーヤマメを狙う釣りも好むが、自身の釣りの核をなしているのは山岳渓流のヤマメ釣りで、野性の美しさを凝縮した在来の渓流魚と、それを育んだ東北の厳しい自然に魅せられている。魚だけでなく、山菜やキノコ、高山植物など山の事情全般に詳しい。
2023年12月6日、逝去。享年65歳。