イトウクラフト

TO KNOW FROM FIELD

FROM FIELD

FIELDISM
Published on 2011/08/24

イーハトーヴォの川のほとりで

2010年8月某日、岩手県
文とイラスト=うぬまいちろう
写真=佐藤英喜

 雫石……。

 その艶やかで滑らかなコトバの響きは、午後の木漏れ日に照らされてキラキラと煌めき、この地を清く流るる川のようである。

 緑の天幕をくぐり、しっとりと山の水が染みこんだ落ち葉を踏みしめながら藪をこぎ、煌めく流れに浸かると、偉大なる作家、宮沢賢治が愛した『イーハトーヴォ』の世界が広がるのだ……。

 思えば遡ること15年前の色取月。かような『イーハトーヴォ』の川のほとりで、竿をたたむボクに奇策に声をかけてくれたのが、陸奥のアニキこと、『ITO.CRAFT』社長の、伊藤秀輝氏(以下アニキ)であった。

「いやいやいや~、川崎から来たっちゃか? したっけはぁ、釣れたぁ~?」

「い、いえ、なんかイマイチでしたぁ……」

 このなんの脈絡もない会話が、素晴らしき縁の始まりであり、ディープなる山釣り行脚の序章であった……。

 以来、意気投合した陸奥のアニキとボクは、山紫水明(さんしすいめい)なる、陸奥の流れを旅することとなるのである。

 どのくらいの流れを渡り、どのくらいの深山を超えたのだろうか? 時には数日にして、ウェーディングシューズのステッチがほどけ、靴がバラバラになってしまうほどの強行軍を強いた時もあった。

 また、百花繚乱の輝ける渓魚との出会いは、そのどれもが素晴らしきココロの糧である。それらは常にボクの魂の中をゆるゆると泳ぎ、時として飛沫を上げ、乾きかけようとするココロのヒダを、その濡れた尾鰭でピシャリ!と弾くのである……。


 さて、この約束の地を流るる幽玄の川を訪れたのは、季白(きはく)の月であった。ウェーダーを履きシューズのひもを締めて、各種装備を施し、深く呼吸する。甘き水香る山の空気を吸えば、ボクは山のヒトとなるのだ。


 ちなみに山のヒトには誰でもなれる。山に入り、花鳥風月(かちょうふうげつ)を魂で感じ、山と川、そして森に棲む八百万(やおよろず)神様に感謝すれば、誰もが山のヒトとなるのである……。山のヒトになってしまえば、あとは思い切り遊ぶだけだ。童子に戻って高らかに笑いながら山河を駆けめぐれば、大抵は誰でも至極幸せになれるのである。

 山釣りといえば、特にストイックなファクターばかりが連想されがちであるが、目を三角形にしてばかりでは、真の山の人にはなれない……。

 アニキの釣りも言わずもがな、時に武道家の戦いのように極めてシリアスなスタイルであるが、反面、スイッチを解除した時のココロの箍(たが)の外れようたるや、それは凄まじきもので、二つ山向こうにもその高らかな笑い声が木霊するほどである。


 山の木々と宝石のような渓魚がそうさせるのかどうかは定かではないが、実際、ボクもアニキも、水に浸りながらどうでもいい話に花を咲かせ、よくよく高らかに笑うのである。

 笑いはことさら殺気を封印するのか、

「アハアハアハアハアハアハ~!」(実際アニキはこの文字の如く笑う)

 なんてやっていると、決まってタイトラインを介し、カスタムのグリップにググッ!と命の猛が伝わってくるのだ……。

「やりぃい~!」

「来たっちゃかぁ~???」

 笑いが呼び水になったのか?それともアニキのガイドが的確だったのか? おそらくその両方の効能と思われるが、水を割り、モアレ状に輝く水面の煌めきを纏うのは、気絶するほど悩ましく、ビビッドに色付いたヤマメちゃんであった。


 太古より、脈々とこの地に育まれてきた、正しく光彩陸離(こうさいりくり)たる流れの奇跡、雫石の生ける宝石である……。

 尺を超えるようなサイズではなかったが、迸る極彩色に彩られたその姿は、ボクを釘付けにし、魂を艶やかにいざなうのであった。

「んやぁ~! したっけはぁ、しこたま綺麗なヤマメだじぇ~!山の神様に感謝しないとねぇ~、アハアハアハアハアハアハ~!」

 アニキはそういってボクの一匹を笑いながら褒めてくれた。一瞬真顔で『森の神様』といい、そしてまた幸せそうに笑うのであった。

 『森の神様』なんていう台詞を木訥(ぼくとつ)に口にするのは、記憶する限りボクの周りではアニキただ一人である。やっぱりアニキはただ者ではないのだ。生粋なる山のヒトなのである……。


 などと思っていたら、そのアニキが美しき山の恵みをさらに一尾追加!まさに山の神の恵みのダブルヒットと相成った次第で、二人でまた、「アハアハアハアハアハアハ~!」と、高らかに笑ったのである。


 さて、気持ちが落ち着くと無性に腹が減ったので、『イーハトーヴォ』の美しき流れより緑萌える草原に舞台を移し、コンビニで買ったオニギリやパンをムシャリ!と頬張る。

 腹を満たしたらゴロリと寝転がるのが『イーハトーヴォ』流である。蒼い空を見上げ、少しウトウトとしていると、

「あやややや~! アレ! ほら、オニヤンマ!」とアニキが突如、奇声を発する……!

 ガバッと上体を起こしたボクは即座にムシ取り網と篭を手にし、怒濤の追跡劇を敢行! こういうことがいつあってもいいように、虫取り網やタモ、サデ網にセル瓶、そして幾つかの潜りの道具を、常に愛車、T-4ウェスティーに積みっぱなしなのだ。


「やたっ! お、オニヤンマ! オニヤンマ捕ったのは、ホント久々ですよぉ……!」


 エイヤ!とウェイダーのまま急に野原を駆けめぐり、飛び、叫び、そして弾けたものだから息づかいが荒くなってしまったが、イタズラ心が動力である場合、不思議と疲れないものだ。網の中の見事なオニヤンマを前に、

「やりぃ! やった~!」

「やった! やったっちゃ~!」

 と、アニキ共々喜々とする。


 大の大人、それも厳ついオヤジ二人がはしゃぐ姿は、さぞや怪しい光景だったに違いない。が、『イーハトーヴォ』の世界ではこれが普通。なのでコレデイイノダ!

「秘密のコナラの木があるっちゃ~! したっけはぁ、とんでもねぇ虫ちゃんが、しこたま捕れるよぉ……!」

 突然のオニヤンマ拿捕が、どうやらアニキのハートに激しく火を付けてしまったようである。生粋の山のヒトがそこまでいうならと、素直に後に続くと、樹液溢れるコナラに、テラリと輝く立派な甲冑を纏ったカブトムシと、キュワン!と顎が見事に曲がったノコギリクワガタが居るではないか!

 やや日が高く昇った時間だというのに、彼らは何事もなかったかのように、悠然と樹液を啜っているのである。

「イーハトーヴォ万歳……!」

「雫石の素晴らしき奇蹟万歳……!」

 



 かくして川の宝石の次は山の宝石に出会え、至福の時を迎えたボクらであった。

 しばらくカブトムシとノコギリクワガタを手に取り、服に付けたり帽子に付けたりしてもてあそび、それから川のお友達同様に、優しく森に戻してあげた……。



 再び幽玄なる流れに戻り、端麗な水に浸かると、温く湿った山の風が頬を撫でていった。その時なぜだか、プン……、と、つい先ほど逃がしてやったばかりの、カブトムシのにおいが鼻をくすぐったのだ。

「あれ、ブトムシの匂いしませんか?」

 ボクがそうアニキに訊くと、

「したっけはぁ、さっきうぬちゃんの帽子にはぁ、一番でっけぇカブトムシくっつけといたからねぇ……!」

 アニキはそういうと、本当に幸せそうに、「アハアハアハアハアハアハ〜!」と笑うのであった。その声は、向こうの山を越えて遠く木霊するのである。

 川岸のクマザサがザワザワと風にそよぎ、笑い声に混ざると、山啄木鳥(ヤマゲラ)が、

「ピョーピョピョピョ……ピョー!」

と鳴いた。

 イーハトーヴォの午後の森は少し温かかった……。

 良き釣りと良き旅を。ラブアンドピース。

 

TACKLE DATA

ROD Expert Custom EXC510UL/ITO.CRAFT
REEL Luvias 2000/DAIWA
LINE Applaud Saltmax Type-S 4Lb/SANYO NYLON
LURE Emishi 50S & 50S 1st/ITO.CRAFT
LANDING NET North Buck/ITO.CRAFT

ANGLER


うぬまいちろう Ichiro Unuma


イラストレーター

1964年、神奈川県生まれ。メインワークのイラスト制作のほか、ライター、フォトグラファーとしても各メディアで活躍中。日本各地をゆるゆると旅しながら、車、アウトドア、食、文化風習などをテーマにハッピーなライフスタイルを独自の視点から伝えている。釣りビジョン「トラウトキング」司会進行。モーターマガジン誌の連載「クルマでゆるゆる日本回遊記」では、キャンピングカーで日本一周の旅を敢行中。