FROM FIELD
丹 律章
FIELDISM
Published on 2015/12/25
イトウガイドサービス
2015夏 後編
かき氷と謎の妖怪の巻
2015年8月
文=丹律章
※あらかじめお断りしておきます。この物語はフィクションです。イトウガイドサービスという組織は存在しません。
■妖怪のいたずら
さらに上流を目指すと、川に落差が現れた。10mほどの滝を高巻いて通過し、さらに上流のエリアへ移動する。
長いトロ瀬の先端にルアーを落とし、トゥイッチで誘うと、軽く30㎝以上はあろうかというヤマメが追ってきた。しかし、ギリギリのところで食いつかない。次のポイントでも、尺上がやる気満々の蛇行しながらのチェイスをしたのだが、またも惜しいところでフックアップせず。
惜しいなあ。食いつかせるための技術がどうにも足らないみたいです。
「そうですねえ。でも、この活性なら、まだまだチャンスはあるんじゃないですかね」
そうですか。では、次のポイントに行ってみましょうか。と、対岸に渡ろうと流れに一歩踏み出した時、僕の左手を、伊藤さんが掴んで制止した。
「ちょっと待って……いま、見えませんでしたか?」
見えなかったかって、何を?
「上流の、落ち込みの上あたり……」
ええ、何も。
「さっきから気配は感じていたんですが、今視界の隅を横切ったような気がしたんです。そうすると、ダメかな」
どういうことですか? ひょっとしてクマでもいましたか?
「いえね、ぬらりひょんが出たのかもしれません……」
えーと、それって、朝、蔵の中の絵に描いてあった?
「ええ、そうです」
それがいたっていうんですか?
「はっきりと見えたわけではないのですが……」
いやまあ、それは目の錯覚でしょうけど、たとえば、ぬらり……ひょんでしたっけ? それが今近くにいたとして、何か僕らに関係があるんですか?
「雫石のぬらりひょんは、山岳渓流に棲むいたずら好きの妖怪と言われていて。あいつがいると、魚が釣れなくなるんです。見えないところで釣り人につきまとって、釣りの邪魔をしているみたいなんですね。先行して、場を荒らしたりとか。実際、以前に変な気配を感じた日も、その後さっぱり釣れなくなったんです」
伊藤さん、マジで言ってます?
「真面目ですよ。私が不真面目なことを言ったことありますか?」
何度もありますけど……まあ、それはそうと、そんなおとぎ話みたいな話を信じることはできませんよ、さすがに……それに、伊藤さんがウソを言っていないとしても、釣りはしてもいいんでしょ。特に危険とかそういうことじゃないんですよね。
「それは構いません。ぬらりひょんはいたずら好きだけど、人を溺れさせたりとかいう、深刻ないたずらはしないと、昔から言われてます」
これまで、雫石ではいろいろ不思議な体験をしてきたけど、川に妖怪が出たから釣りやめますって……無い無い!
釣りを再開する。しかし、川は一変していた。それまでポイントポイントであった、やる気のあるヤマメのチェイスはどこかへ消え失せ、反応はゼロになった。
30分ほど釣り上ったが、反応は無い。
あのデラックスな、かき氷屋の効果は、ぬらりひょんで相殺されたんでしょうか。
「はっきりとはわかりませんが、そういうことだと思います。今現在、ぬらりひょんは見えませんし、気配も感じませんが、どこかで我々を見ているはずです。釣りを開始すれば、また面白がって着いてくるでしょう。こんな時は、川を変えるのが一番です」
ぬらりひょんはともかく、釣れないのは事実なので、移動しましょうか。
僕らは、斜面を上って林道に出た。
■憎めない妖怪
……それより、腹減りません?
「そうですね。朝購入したおにぎりなら吉川課長が持っていると思います」
「ええ、私のベストのポケットに……あれ、おかしいな。無いぞ」
「確か、5個くらい残っていたよな」
「ええ、そのはずで……」
「あ、やられた!」
どうしたんですか?
「多分、ぬらりひょんの仕業です。こうやって食べ物を盗み食いすることもあるんです」
はあ? 何が何だかわからない。
幻のデラックスなかき氷屋でかき氷とプリンを食べたのだが、そのかき氷屋は跡形もなく消え失せ、魚が釣れたと思ったら、今度は妖怪のせいで釣れなくなり、おにぎりも妖怪に食べられたという。
これが雫石か。宮沢賢治の童話じゃないんだから……そういえば、イーハトーブってこの辺なのかなあ。
「それじゃあ、いったん車で町に下りましょうか。最寄りの食堂まで30分ってとこでしょうか」
マジっすか。腹減った!
僕らは、とりあえず、車を停めた場所まで林道を戻ることにした。
5分ほど歩いた時だった。
「おーい、あんた達かい?」と、林道をこちらへ歩いて近づく白衣の人影があった。
「電話で、冷やし中華を届けてくれって言われたんだけど……腹を減らしている釣り人がいるからって。半信半疑で来てみたんだけど、本当にいたね」
まあ、確かに、僕らは腹を減らした釣り人には違いないのですが、電話をした覚えはありませんよ。
「電話してきたのは、聞いたことのない名前だったね……ヌラさんって言ったかな、あんたたちの知り合いじゃない?」
「ぬら……そうか。それ、私らの注文で間違いありません」
ぬら……りひょん。
代金を払い、川原に戻って冷やし中華を食べる。
ぬらりひょんも、いいとこありますね。
「いたずらは好きなんですが、いいところもある。だから、困ったやつだな~くらいで済んで、本気で憎まれることはないんです」
僕はすっかり、ぬらりひょんの存在を受け入れている自分に気がついた。
とりあえず、魚は釣れた。川原で食べる冷やし中華も旨い。今日の釣りも100点に近い……あれ、僕のエビ、知りません?
冷やし中華のてっぺんに乗っていたエビが無くなっていた。
「また、やられましたね」伊藤さんが言った。
時間的にはまだ余裕があったが、僕は何となく気が抜けてしまった。釣果以上に、色々なことが起こりすぎた。しかも、理屈では理解不能なその出来事は、詳細が解明されないまま、実際に起きた出来事として記憶された。
僕らは、イトウガイドサービスの本部に戻り、恒例となった宴会へと突入する。
まずはビールだ。吉川課長が生ビールの機械をセットしてジョッキに注ぐ。
大和森林統括部長が、様々な食材を持って現れた。
ウナギ、アユ、カジカ。全て、雫石の渓流で取れた魚だという。
ジンギスカン肉もあった。そ、それは……多分、肉屋で買ったものだと思う……そう信じたい。
宴会は暗くなってもまだ続く。生ビールを飲み、肉を食い、魚にくらいつく。玉ねぎを食べ、キャベツを食らい、また肉を食う。
大和さんが焼いてくれたカジカの串を取って、かぶりつこうとしたとき、後ろで何か気配がした。振り返っても誰もいない。
「どうかしましたか?」
正面に座っている伊藤さんが怪訝そうな顔をした。
いえ、何でもありません。でも確かに何かの気配がしたんだよな。ウサギとか、キツネ?手元を見ると、串に刺さっていたカジカが全て無くなっていた。
見上げると、林の向こうに満月が上っている。
「どうかしました?」また伊藤さんが言う。
いえいえ。僕は串を焚き火に放り込んで、新しい串をとる。そして、大急ぎでかぶりつく。誰にもとられないように。
1週間後の土曜日。僕が神奈川の自宅でくつろいでいると、釣りに同行し写真撮影を担当したスタッフの佐藤君からメールが入った。
<先日の釣りの写真を整理していたんですが、1枚の写真に、変なモノが写りこんでいるんです。写真添付したので見てください>
クリックして写真を開く。
すると、釣りをする僕の後ろには吉川課長。その向こう側に木が生えていて、その木に寄り掛かるように、何かが写っている。
こんな所に人はいなかったはずだし、だいたいこれは人じゃない。これが、あの日僕らの釣りを邪魔した、ぬらりひょんなのだろうか。
雫石では不思議なことがよく起きる。
TACKLE DATA
ROD | Expert Custom EXC510PUL/ITO.CRAFT |
---|---|
REEL | Cardinal 3/ABU |
TUNE UP | Mountain Custom CX/ITO.CRAFT |
LINE | Super Trout Advance VEP 5Lb/VARIVAS |
LURE | Bowie50S, Emishi50S 1st Type-Ⅱ/ITO.CRAFT |
LANDING NET | North Buck/ITO.CRAFT |
HEART | 科学的に説明できない事柄でも、受け止める精神的な広さが大切 |
LIVER | 大量に摂取するアルコールを素早く分解する瞬発力と、それを継続する持久力が必要 |
DRUG | ウコン系やキャベ2、パンシロン胃腸薬など |
ANGLER
丹 律章 Nobuaki Tan
ライター
1966年岩手県生まれ、神奈川県在住。フリーランスライター。「ルアーフリーク」「トラウティスト」の編集を経て、1999年フリーに。トラウトやソルトのルアー、フライ雑誌の記事を多く手掛ける。伊藤秀輝とは「ルアーフリーク」の編集時代に知り合い、25年以上の付き合いになる。