FROM FIELD
丹 律章
FIELDISM
Published on 2015/12/11
イトウガイドサービス
2015夏 前編
かき氷と謎の妖怪の巻
2015年8月
文=丹律章
1年半のご無沙汰となりました。毎度バカバカしい、イトウガイドサービスでございます。
いつの間にか時が流れ、前回のガイドサービスの報告から数えると、季節が5つほど通り過ぎてしまいましたが、雫石の山も川も、ガイドサービスのメンバーも元気に過ごしております。
さて、2015年夏。岩手と秋田の山岳地帯を中心に渓流のルアーフィッシングのガイド業を営むイトウガイドサービスを、またあのお客様が利用なさるようでございます。
今回は、どんな釣りが待っていることやら。
時は2015年の夏休み、お盆前のことでございます。
※あらかじめお断りしておきます。この物語はフィクションです。イトウガイドサービスという組織は存在しません。
■コナコーヒーとスズメバチ
1日のガイド基本料金が10万円、フィッシングプレッシャーの少ない川を希望すればオプション料金が3万円。釣り場にフィットするルアーの現場価格は定価の倍で、川で食べるソフトクリームは3千円という、超高額な価格設定の、このガイドサービスを初めて利用したのが2007年の夏だから、この釣りも今年で9年目ということになる。これまで年に1度か2度、岩手県の雫石を訪れては、ガイドの人たちとともにヤマメを釣ってきた。
もちろん自然相手の遊びだから、釣果が一定であることなどありえない。釣れた日もあったし、あまり恵まれない日もあった。35㎝の生涯最大のヤマメを釣ったのもこのガイド中だし、魚釣りができずカブトムシを捕りに山に入ったこともある。
正直なところ、ガイド料金は僕のフトコロに相当な打撃を与える。しかし、紅色に染まった尾びれの完璧な形や流れる水の清冽さ、山と森の香りや川に吹いてくる風の感触など、ガイド中に出会った数多くの思い出に照らし合わせてみると、出ていったお金と心に蓄えられた感動の質と量は、まあ悪くないバランスを保っているような気がする。
盆休みを2日ほど前倒しで取って、僕はお盆前の雫石を訪れた。
今年の夏は恐ろしく暑く、僕が住む神奈川の最高気温は連日35度、北関東の内陸部では40度に迫る暴力的な気温が続いていたが雫石はさすが北国。朝の気温は20度を少し上回る程度だ。
「おはようございます」
イトウガイドサービス本部に到着すると、ガイドの吉川さんが現れた。
「まずは、ウェルカムドリンクですが、何をご所望になられますか?」
ビール好きの僕の場合、これが夕方3時過ぎならば間違いなくビールとなるところだが、さすがに朝5時にビールを飲む習慣はない。
それじゃ、アイスコーヒーでも貰いましょうか。
「承知しました」
いったん建物の中に消えた吉川さんが、1分ほどで戻ってきた。手には褐色の液体が入ったボトルが握られている。
「ハワイ島に我々が所有しております、コーヒー農園で栽培したコナコーヒーを瓶詰めしましたスペシャルコーヒーでございます」
コーヒーの最高級ブランドのひとつであるコナコーヒーか、やるな。
「通常、コナコーヒーと申しましても、それはブレンドがほとんど。うちのように、コナ100%のアイスコーヒーはそうそうあるものではございません。現地でのハワイ島での卸売価格が1本30ドルほどで、東京の高級ホテルで飲めばグラス1杯1500円は下らないかと」
なるほど。ところでイトウガイドサービスって、コーヒー農園もやっているんですか?
「はい。ハワイ島に100ヘクタールほどの農園を所有しております」
100ヘクタール……ってどれくらい?
「およそ、東京ドーム20個分ですね」
……とにかく広いってことだけは分かった。
「ところで丹様。お顔色がよろしくないようにお見受けしますが……」
ああ、分かりますか? 先週からちょっと仕事が立て込んでいまして、一昨日まであまり寝ていなかったんです。昨日は最終の新幹線で盛岡に来て、一晩ちゃんと寝たんですが、疲れはすぐには取れませんね。
「丹様」吉川さんの後方から、突然伊藤さんの声が聞こえた。
「それならいいのがございます。滋養強壮には、雫石の山に生息するエゾオオスズメバチを漬けこんだハチミツが効果的です。毎年スズメバチを捕まえてハチミツに漬けるのです。今年漬けたものもありますが、効果抜群の10年物がありますので、どうぞこちらへ」
そういうと、伊藤さんは本部の裏手にある、土蔵へ案内してくれた。
重い扉を開けて、暗い内部へ入る。目が暗さに慣れてくると、ハチミツよりも先に、変な絵が目に入った。
これ、何ですか?
「ああ、これね。雫石の山に生息する、ぬらりひょんの絵です。昨日、蔵の中を整理していたら出てきまして……」
その絵には、耳が細長くて、ミノを着たような奇妙な生物が描かれていた。
ぬらりひょん? 聞いたことありますね。ゲゲゲの鬼太郎に出てきたような気がしますけど、妖怪か何かでしたっけ?
「ぬらりひょんという妖怪は、ゲゲゲの鬼太郎にも出て来るし、江戸時代に書かれた妖怪の絵巻などにも登場しますが、雫石でいうぬらりひょんは、ちょっと違うんです」
違う……。
「山に住んでいる生き物で……私も何度か怪しい気配を感じたことがあります」
気配? 本気で言っているんですか?
「はっきりと見たことはないですよ。でもね、ちょっと異質な温度というか、匂いともいえない匂いというか、つまり気配ってことなんですが、あれが、40年以上前に祖父が言っていた、ぬらりひょんかなと思ったことは何度かあります」
妖怪の存在を、信じていると?
「うーん、まあ、可能性という意味で言えば、絶対にいないと断言はできませんね……それはそうと、これがその10年物のハチミツです」
そういって、伊藤さんはハチミツの瓶を持って土蔵から出ていった。僕も後に続く。
「10年物は、効果が高いんです。釣りの前にひとくち召し上がったらいかがでしょうか」
勧められるままにスプーンでひとくち頂いてみる。濃厚なハチミツの甘さの奥に、独特の苦みが感じられた。何やら効きそうな気配だ。
「スズメバチを漬けるのはいいのですが、問題は捕獲なんです」
そうですよね。刺されたら大変ですからね……スズメバチ用の殺虫スプレーか何か使うんですか?
「口に入れるものですから、殺虫剤は使えません。殺虫剤どころか、生け捕りにしてハチミツに漬けるところがキモなんです。だから捕獲が大変です」
なるほど……生け捕りですか。想像したくないな。
「刺されたら大ごとです。実際大ごとでした……見ますか?」
伊藤さんの手首には、1週間ほど前にスズメバチにやられたという、刺された跡が残っていた。恐わっ!
■雫石の絶叫マシーン
釣りの準備をしていると、体がカッカしてきた。スズメバチハチミツの効能だろうか。お腹が温まって、頭も少しすっきりした気がする。
釣り場へ出発。伊藤さんの運転する車で10分ほど走ると、町を抜け緑が多くなってきた。支流へ続く林道へと曲がったところで、車を下りてくれと促される。
ここで釣り? まだ山の入り口ですけど。
「いえ、これかぶってください」と、伊藤さんが僕にヘルメットを渡してきた。
ヘルメット? 工事現場? それともケービング?
「ここからはジムニーで行きます。ちょっと険しい道ですので」
道が険しいとしても、ヘルメットいります?
「崖をトラバースする狭い道で、車が横転したりしたら危ないじゃないですか」
横転って、そんなに危ないんですか……それに、横転して崖を転落したら、そもそもヘルメットがあってもダメじゃないですか。
「まあ乗りましょうか」
伊藤さんが軽量化を施したという、2スト時代のスズキ・ジムニーに乗り込む。僕もしぶしぶ助手席に乗ってシートベルトをしっかりと締める。エンジンを掛けると、2スト独特の軽い排気音が谷間に響く。
「行きますよ」と言うやいなや、伊藤さんはアクセル全開。ジムニーは猛ダッシュを開始した。窓の外の森の景色が後方へすっ飛んで行く。
前方には狭いダートロードがくねくねと続いている。そこを猛スピードで疾走するジムニー。伊藤さんはその先のカーブがどれくらいのアールなのか分かっているからアクセルを踏み込めるのだろうけれど、知らない僕には、あきらかなオーバースピードに思える。僕は床を思いっ切り踏み、ドアのハンドルを左手で硬く握り、右手は天井に突っ張って、体をシートに固定する。そうしなければ、横Gに耐えられない。
富士急ハイランドの絶叫マシン「フジヤマ」を数倍上回る恐怖にさらされること10数分。ジムニーが止まりエンジンが止まる。目的地に到着した。
絶叫マシンで疲れ果てた体を休めていると、先ほどまでみんなで乗っていたSUVを吉川さんが運転して到着した。ジムニーじゃなければ来られない道ではないのだ。僕にジムニーのスリルを味わわせるのが、ガイドサービスの目的だったようだ。
移動手段には文句を言いたいが、到着した目的の川は申し分ない。緑の森のトンネルの中を、適度な落差を作りながら透明な水が流れている。周囲の木々からは鳥の声が聞こえ、それに覆いかぶさるようにセミが鳴いている。水面上に貼り出した木の枝がちょっとキャスティングの邪魔だが、魚の生息条件は満点に近い……とはいっても、最近は、いかにもいそうなポイントで、魚の反応が全く無かったりすることも多いのだけれど。
「朝食はどうしましょう。少々歩きますから、何かお腹に入れておいた方がいいかと」
伊藤さんが、僕のことを気遣ってくれる。
「朝なので、軽めのものしか用意しておりませんが、パン類にカツ丼、キムチ冷麺に豚骨ラーメン、デザートにはシュークリームと大福を用意しておりますが」
どこが軽めだ! 僕は一番軽い菓子パンをもらって、食べながらタックルセットをする。
空は青空。林の向こうからせせらぎの音が聞こえてくる。朝からセミも元気がいい。
見ると、吉川さんが朝食を始めていた。まさかのキムチ冷麺だ。朝からキムチ? 3分で完食した吉川さんは、次におにぎりを2つ食べ、最後に大福のパッケージを開けた。良く食うねえ。
「お召し上がりになりますか……大福」
いや、遠慮しておきます。
薮を漕いで川に下りると、涼やかな風が上流から吹いていた。夏の北国の朝の風だ。そんなパーフェクトに近い環境の中で、僕はルアーを投げ始める。
(中編に続く)
TACKLE DATA
ROD | Expert Custom EXC510PUL/ITO.CRAFT |
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REEL | Cardinal 3/ABU |
TUNE UP | Mountain Custom CX/ITO.CRAFT |
LINE | Super Trout Advance VEP 5Lb/VARIVAS |
LURE | Bowie50S, Emishi50S 1st Type-Ⅱ/ITO.CRAFT |
LANDING NET | North Buck/ITO.CRAFT |
HEART | 科学的に説明できない事柄でも、受け止める精神的な広さが大切 |
LIVER | 大量に摂取するアルコールを素早く分解する瞬発力と、それを継続する持久力が必要 |
DRUG | ウコン系やキャベ2、パンシロン胃腸薬など |
ANGLER
丹 律章 Nobuaki Tan
ライター
1966年岩手県生まれ、神奈川県在住。フリーランスライター。「ルアーフリーク」「トラウティスト」の編集を経て、1999年フリーに。トラウトやソルトのルアー、フライ雑誌の記事を多く手掛ける。伊藤秀輝とは「ルアーフリーク」の編集時代に知り合い、25年以上の付き合いになる。