イトウクラフト

TO KNOW FROM FIELD

FROM FIELD

FIELDISM
Published on 2014/06/20

イトウガイドサービス
2014春 後編
奇跡の山岳寿司屋の巻

2014年5月
文=丹律章

※あらかじめお断りしておきます。この物語はフィクションです。イトウガイドサービスという組織は存在しません。


■イトウガイドサービスに不可能はない


 時計を見たら昼をとっくに回っていた。それを意識した途端に腹が減ってきた。

 あの、ですね……そろそろ昼飯を食べたいんですけど……。

伊藤「は! 了解しました。どんな昼食をご所望ですか?」

 そうだなあ。冷たいそばとか讃岐うどんでは軽すぎだし、家系のラーメンでは濃すぎかな。カツとかカレーライスっていう気分じゃないし……うーん何かなあ。そうだ、お寿司なんてどうですか?

伊藤「は? 寿司……っですか? ここ、山の中なんですが……」

 ああ、寿司いいですねえ。口に出したら、ますます寿司が食べたくなってきたなあ。こうなったら寿司だな。それ以外考えられない。

伊藤「通常、美味しいお寿司屋さんは海沿いにあってですねえ……」

 僕はとっても寿司が食べたいんだけど、やっぱり無理ですかあ? そうかも知れませんねえ。

伊藤「…………」

 そうですよねえ。ここ山の中ですからねえ。寿司とか無理ですよねえ。

伊藤「…………」

 イトウガイドサービスでも、それだけは不可能ですよねえ……。

 伊藤さんのこめかみがピクリと動いた。伊藤さんのこめかみは怒りのバロメーターである。何年かの付き合いで、僕はそれを覚えた。やばい! ちょっといい過ぎたかも……。

伊藤「丹様、今、不可能とおっしゃいましたか? 私どもイトウガイドサービスにも不可能と、そうおっしゃいましたか?」

 あ、いえ……そんなこと言ったかなあ。言ってないと思うけどなあ、ハハハハハ。

伊藤「吉川課長、大和寿司に連絡を取れ」

 吉川さんがベストのポケットから携帯電話を取り出す。

吉川「電波、繋がりません」

伊藤「あれがあるだろう」

吉川「あれ?……ああ、あれですね」

 次に吉川課長が取り出したのは、トランシーバーだった……どう見てもおもちゃにしか見えない……青色の……プラスチッキーな……。でもどこかで見たことがある。あ、そうだ! 去年の夏、カブトムシ捕りの時に、森林警察を呼んだのがこのおもちゃっぽいトランシーバーだった(イトウガイドサービス2013夏 後編を参照下さい)。


 吉川課長がどこかへ連絡を取っている間、伊藤さんが説明をしてくれる。

伊藤「この川の上流へ林道を詰めて、行き止まりに車を停めてですね、そこから山を二つ越えたところの、1500m級の山の中腹に寿司屋がありましてね」

 1500mの山の中腹に寿司屋? 山小屋じゃなくて?

伊藤「ええ、寿司屋なんです。徒歩で片道4時間はかかるから、朝一番に車止めを出発しても、寿司を食べて帰ってくるころには夕暮れになってしまいます」

 日帰りぎりぎりじゃないですか。

伊藤「そうなんです。それでも、シーズン中はなかなか予約が取れないみたいですよ。それほど人気の寿司屋ということです」

 まさか、今からそこに行こうって話じゃないですよね。着いたころには夜ですよ。

伊藤「もちろん違います……あ、課長、連絡つきましたか」

吉川「はい。1時間ほどで」

伊藤「なるほど……丹様、今寿司の手配をしました。1時間ほどお待ちください。その間、周辺で釣りをしていただいて……」

 どういうことですか?

伊藤「常人の足ならば片道4時間でも、寿司屋の主人なら1時間かからずに下りてこられますから」

 出前をここに呼んだってことでしょうか?

吉川「その通りです。明日VIPが来店するとのことで、今日は休みにしていたそうなんです。そこを無理言って来てもらうことにしました」

伊藤「イトウガイドサービスに、不可能はございません」


■VIPの寿司屋


 でもVIPって。まさかどこかのセレブが歩いて登るんですか?

伊藤「いえ、山の寿司屋にはヘリポートが完備してございますので、明日来店するというハリウッド俳優はヘリを利用なさるのでしょう。ちなみに、アメリカのO大統領も、A首相との会談の後で、お忍びでヘリをチャーターして来たみたいですよ」

 マジっすか! 大統領がお忍びで来る寿司屋のご主人を呼び出したんですか! 驚きの話だけど、料金の方も驚きの数字になりそうな予感がします。

伊藤「それは、ご覚悟下さい。私どもはお客様の希望をかなえさせていただいただけですので」

 料金は気になるが、期待に胸が膨らむ。

 そろそろ1時間かなあ、という頃。やぶの向こうががさがさと揺れたかと思うと、白い調理服姿の男が、姿を現した。マジで寿司屋だ。寿司屋の主人だ。


主人「お待たせしました」

伊藤「無理言ってすいません」

主人「では、早速準備させて頂きます」

 あの、寿司屋のご主人、大和さんじゃないですか? 森林統括本部長の……。

伊藤「いえ、彼は大和本部長の双子の弟なんです。さすがに双子なので似ていますが別人です。まあ、そういう関係で多少の無理が効くわけです」

 多少ではないと思いますが……。

主人「20分ほどで用意しますので、着替えをなさってくつろいでください」

 ここで握るんですか? 出前じゃなくて、出張寿司屋じゃないですか。

伊藤「出張を頼めるのは、特別な人のみです。先週も大臣経験のある代議士が出張を依頼してきたらしいんですが、断ったみたいですよ」

主人「代議士先生でも、一見さんはお断りしてますのでね」

 僕らは近くに止めてあった車に戻り、ウェーダーを脱いで服を着替えた。5分ほどで戻ると、そこには寿司屋があった。カウンターにガラスケース、提灯、客間には畳がひかれている。

 主人の帽子には、シマフクロウの羽根が差してある。シマフクロウの生息地は日本では北海道だけとされているが、奥に行けば雫石にもいますよと、ご主人はこともなげに言う。それが本当なら、鳥類学者がひっくり返る発見だろう。

主人「まずはビールでよろしいでしょうか」

 ビールがあるんですか? それは凄い! 当然缶ビールを予想していたのだが、出てきたのは何とジョッキの生ビールだった。

 生……ですか!

主人「はい。サッポロでございます」

 客のビールの好みまで把握しているとは。さすが大統領やセレブ御用達の寿司屋だ。この寿司屋の凄さがひしひしと伝わってくる。

主人「うちは、おまかせコースのみですが、それでよろしいですか」

 はい。よろしいですよろしいです!


■美味! 奇跡の山の寿司


主人「山の寿司屋ですから、山の幸のお寿司になります」

 山の寿司屋の夢の時間はそうやって始まった。

 まず出てきたのは、コゴミの軍艦巻きと、シドケの軍艦。


 正直、何だこりゃ、と思った。しかし食べてみると、これが気絶するほどうまい。山の空気と周囲の景色があと押ししているのだろうけれど、そのあと押しとて僅かなもの。しゃりも絶妙の握り具合で、口に入れた瞬間に酢飯がほろほろと崩れる。

 葉わさびの軍艦、タラボの握り、行者にんにくとヤマメの炙り、イワナの焼がらしと続く。ビールはいも焼酎からマムシ焼酎をはさんでイワナの骨酒に代わり、気がつくと2時間が経っていた。


 僕が満腹の腹をさすっていると、ご主人は、「そろそろ戻りませんと、日が暮れてしまいますので」と後片付けをし、風のように去っていった。どっどどどどうと、どどうどどどう。ほろ酔いで車に戻ると、そこには運転代行が待っていた。いつ、誰が呼んだんだ? ここ、携帯電話繋がらないんじゃないの?

 そこから先のことは、途切れ途切れにしか覚えていない。

 イトウガイドサービス本部に戻ると、BBQの用意がしてあって、僕はまた生ビールから始め、ホタテやラム肉を食べた。シイタケのバター焼きも食べた。タラボの天ぷらも食べたような気がする。

 散々食べて、飲んで、朝、目が覚めたらまた冬の気温だった。


 ガイドサービス本部を後にするとき、支払いを済ませた。110,000円だった。基本料金とダウンジャケットレンタル料のみ。何故だ? 不気味だ!

伊藤「大和寿司の出前は別料金になりますので、あとで請求書を送らせて頂きます」

 僕は雫石を後にし、盛岡の実家へ戻る。

 あれから3週間。まだ請求書は届かない。ドキドキの日々が続いているが、次に行ったら、また出前を頼んでしまいそうな僕がいる。

 できたら、僕の支払い、A首相に付けといてもらえませんかね。


(了)

TACKLE DATA

ROD Expert Custom EXC510PUL/ITO.CRAFT
REEL Cardinal 3/ABU
LINE Super Trout Advance VEP早春渓流スペシャル5Lb/VARIVAS
LURE Emishi50SD、Emishi50S、Emishi50S Type-Ⅱ/ITO.CRAFT
LANDING NET North Buck/ITO.CRAFT
STOMACH 何より量を処理する能力が求められる
DRUG 定番のウコン系やキャベ2、パンシロン胃腸薬などを必要に応じて

ANGLER


丹 律章 Nobuaki Tan


ライター

1966年岩手県生まれ、神奈川県在住。フリーランスライター。「ルアーフリーク」「トラウティスト」の編集を経て、1999年フリーに。トラウトやソルトのルアー、フライ雑誌の記事を多く手掛ける。伊藤秀輝とは「ルアーフリーク」の編集時代に知り合い、25年以上の付き合いになる。