FROM FIELD
丹 律章
FIELDISM
Published on 2014/06/06
イトウガイドサービス
2014春 前編
奇跡の山岳寿司屋の巻
2014年5月
文=丹律章
毎度バカバカしい、イトウガイドサービスでございます。
岩手秋田の奥羽山脈エリアの川を中心にルアーフィッシングのガイド業を営んでおります、イトウガイドサービスのもとを、またあのお客様が訪れます。
前回は昨年の夏、記録的な豪雨の後に訪れたこともあって、釣りは全くできず、カブトムシを捕ってお茶を濁されましたが、その濁ったお茶もお客様は大変気に入った様子。大変満足してお帰りになられました。なによりなにより。
さて今回は、どんな釣りが待っているのでしょう。
時は2014年のゴールデンウィーク。5月初めのことに相成ります。
※あらかじめお断りしておきます。この物語はフィクションです。イトウガイドサービスという組織は存在しません。
≪ 雫石に春はあるか ≫
僕は盛岡の実家から、雫石へ向かう国道46号線を走っていた。
ゴールデンウィーク前半の僕は現在住んでいる神奈川県にいて、日中は半袖半ズボンでも過ごせる陽気に夏の到来を感じ、心から喜んでいたところだった。しかし盛岡は神奈川とは違い、かなり涼しい。長袖シャツの上にスウェットパーカーを着こんで、僕はイトウガイドサービスの面々が待つ雫石へ出発したのだった。
盛岡市内から雫石までは、距離にして20キロ弱、車で30分と近い。しかし、盛岡インターを通過し、小岩井の入り口を通り過ぎ、雫石に入ったところで、僕は奇妙なものを見た。
『6℃』
それは電光掲示の温度計だった。現在の気温6℃。その掲示板は確かに6℃を示していた。6℃……神奈川の次元でいうなら、それは冬の最低気温ということになる(調べてみたら、2014年の1月9日の横浜の最低気温が6℃だった)。
何かの間違いだろうと思った僕は、窓を細く開けてみた。冬の冷気が車内に流れ込んできた。僕は慌てて窓を閉めた。
マジかよ。
ほどなく、イトウガイドサービス本部に到着する。本部前では吉川課長が待ち構えていた。車から出ると、そこはやはり冬だった。雫石は日本に属さず、チベットとかアラスカとかペルーなんかと国境を接しているのではないだろうか。
凄すぎるぞ、雫石!
吉川「おはようございます。昨夜はぐっすりお眠りになられましたか?」
ええ。寝れましたけど、それよりなんですか、この寒さは。
吉川「雫石でございますから、これくらいの寒さは普通ですね。むしろ暖かく感じる気温でございます。先週はバケツの水が凍ってましたから」
ホントですか? 雫石ってすごいところですねえ。
吉川「ウェルカムドリンクはいかがでしょう。サービスさせて頂きます。ビール、シャンパン、それともコーヒー?」
それじゃ、コーヒーを。
吉川「アイスコーヒーでいいですか?」
寒いんですよ。ホットに決まってるじゃないですか!
カップに入ったコーヒーが届いて、僕はそれを両手で包み込みながら飲む。胃袋が少し温かくなった気がした。
吉川「ラインは万全ですか?」
いえ、前に使ったやつがリールに巻いてあるので、交換して欲しいんですが。
吉川「了解しました」
吉川課長が僕のカーディナルから古いラインを抜き取っていく。僕は温かいコーヒーを飲みながらそれを眺める。空は薄い雲に覆われているが、その上にはうっすらと太陽の存在を感じる。これは雲ではなく霧に近くて、1時間もしたら晴れるに違いない。冷たいがやさしい風が、頬を撫でていく。遠くで鳥が鳴いている。悪くない。
自然の密度が薄い関東エリアに住んでいると、こういったささいな事象が琴線に触れる。
風で木の葉がかさかさと音を立てる。夜露に濡れた春の森の香りが漂っている。やっぱり悪くない。
≪ 早春用スペシャルラインの是非 ≫
伊藤「おはようございます」
伊藤さんが現れた。
伊藤「ライン交換ですか? 今なら早春用のスペシャルラインがございますが、そちらにしましょうか」
早春用? 何が違うんですか?
伊藤「早春の東北の渓流は水温も気温も低いので、トラブルがないような柔らかさの設定になっております。なおかつ、この時期のシビアなバイトも取れるような、感度と低伸度を実現しました。メーカーに直接依頼して、イトウガイドサービスの特別バージョンを作って頂きました。正直、このラインでないとこの時期のヤマメは……」
分かりました。それにします。その早春用何とかに巻き替えてください。
伊藤「お買い上げありがとうございます」
あ、それのライン、いくらするんですか?
伊藤「価格ですか? 大したことはございません。特別なラインですから定価は12,000円とちょっと高めですが、丹様はお得意様でございますので、特価にてご提供させて頂きます」
げっ、高い! そう思ったが、既にパッケージは開けられていた。
吉川さんが新しいラインを僕のリールに巻き始める。ちらっと見ると、特価は6,800円とあった。特価でも十分に高い。しかもパッケージに書かれている「早春渓流スペシャル」という文字は手書きっぽく、普通に釣具屋で売っているラインに油性マジックで後から書き加えただけのようにも見えたが、それは多分、僕の思い過ごしだろう。春先の釣りに特化した、素晴らしい性能のラインに違いない……そう思い込まなければやってられない。
ラインを巻き終えた吉川課長が、青いジャンパーらしきものを持って来た。
吉川「もし寒いようでしたら、レンタル用のダウンジャケットもございますが、いかがいたしましょう」
レンタル料金は1日10,000円だという。ユニ○ロのダウンなら、10,000円出せばおつりがくるはずだし、寒いのは朝のうちだけだ。山あいでもすぐに暖かくなるだろう。しかし、大切なのは未来ではなく、現在だ。現在の寒さだ。僕はダウンジャケットをレンタルすることにした。
ジャケットを着てコーヒーの残りをすすると、既にそれは冷たくなっていた。僅か10分の間に、舌が焼けるほどのホットコーヒーとアイスコーヒーの両方を味わえるとは、雫石はなんと素晴らしい土地なのだろう。
さすがにダウンジャケットは温かかった。雫石の低温にも負けない。素敵だ。
(中編に続く)
TACKLE DATA
ROD | Expert Custom EXC510PUL/ITO.CRAFT |
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REEL | Cardinal 3/ABU |
LINE | Super Trout Advance VEP早春渓流スペシャル5Lb/VARIVAS |
LURE | Emishi50SD、Emishi50S、Emishi50S Type-Ⅱ/ITO.CRAFT |
STOMACH | 何より量を処理する能力が求められる |
DRUG | 定番のウコン系やキャベ2、パンシロン胃腸薬などを必要に応じて |
ANGLER
丹 律章 Nobuaki Tan
ライター
1966年岩手県生まれ、神奈川県在住。フリーランスライター。「ルアーフリーク」「トラウティスト」の編集を経て、1999年フリーに。トラウトやソルトのルアー、フライ雑誌の記事を多く手掛ける。伊藤秀輝とは「ルアーフリーク」の編集時代に知り合い、25年以上の付き合いになる。