イトウクラフト

TO KNOW FROM FIELD

FROM FIELD

FIELDISM
Published on 2013/11/22

イトウガイドサービス
2013夏 後編
カブトムシの夏休みの巻

2013年8月
文=丹律章

 僕は、クマよけ用のホイッスル替わりのフエラムネを3分ほどピーピーして、食べた。30年ぶりのフエラムネは、意外に美味かった。


「これでも、100%の安全が確保されたわけではありません」

 そりゃそうだろうね。フエラムネだもんね。

「ですが、もしもの場合には、ガイドが対応しますから、ご安心ください」

 そりゃ心強い。

「我々は常に武器を携帯しておりますから」

 唐辛子スプレーか? それともナタか?

「これです」

 自信満々に吉川課長が取り出したのは、圧縮空気で飛ばすおもちゃのピストルだ。

「ベースはおもちゃですが、フルチューニングを施しておりますので心配いりません。シリンダーを超硬度ジュラルミンに変えて、圧力を1万倍に高めてあります。これでクマもイチコロでしょう。もちろんこれはガイド料金に含まれております」

 どこまで本気なんだか……どれだけの勢いで弾が飛び出すかは知りませんが、その弾、スポンジですけど。

 15分ほどうろつくが、カブトムシの姿は見つけられない。

「15分の間に、クヌギやらコナラやらカブトムシが好む木はいくつもあったのですが、すべてカブトはいませんでした。もしかしたら先行者に捕られてしまったのかもしれません」

 岩手の山奥に来ても、ヤマメは簡単に釣れない時代になった。同様に、雫石の山奥でも、カブトムシは簡単に捕れないのだった。

「最後の手段だな、吉川課長、頼む」

「はっ」と吉川課長は青い、おもちゃのように見えるトランシーバーを取り出した。

「森林警察隊長、感度ありますか」


 はっ、誰? 大体、森林警察ってなんだ?

「隊長、感度ありますか?」

 2度目の呼びかけに反応があった。

「こちら隊長。その声は吉川課長か?」

 なにやら、吉川課長が交渉を始めた。どうやら、森林警察とやらに応援を頼むらしい。

 数分後、林道の奥から一人の男が姿を現した。大和さんだった。


 大和さんはイトウガイドサービスの森林統括本部長という役職にあり、これまでもキノコを採ったり、ウナギを捕ったりと大活躍してきた。その彼は、県から委託され森林警察隊長という大役も兼任しているのだ。山を歩き、その保全に努める。つまり山のプロだ。

 伊藤さんが、カブトムシ捕りに来た旨を大和さんに、いや、大和森林隊長に伝える。

「なんだ、そんなことか。それならこっちだ」

 山のプロは、カブトムシの居場所までパーフェクトに把握している。

「確かに道路から近い場所のカブトムシは、最近すぐ捕られてしまうけど、ちょっと森に入れば、カブトなんてうじゃうじゃいるのさ」


 道路からちょっと山に入る。しかし大和さんの言うそのちょっとは、30分あった。

 道なき道を、坂を上り、次に下り、草をかき分け歩くと、そこには1本の大木があり、幹から樹液が垂れていた。樹液が垂れた場所は周囲より黒ずんで見え、その黒ずんだ場所は樹液によるものかと思ったら、カブトの群れだった。


 木の幹から樹液が流れ、それにカブトムシが群がっている。その数15匹。僕は勢い勇んでカブトムシを捕まえ、次から次へと虫かごへ放り込んだ。


 その1本の木で、僕は十分に満足した。大和さんは、もっと奥に行けばいくらでもいると言ったが、別に100匹捕りたいわけじゃない。それに、30分の往路には、当然、30分の復路がついてくる。正直疲れていた。

 ゼイゼイハアハアとあえぎあえぎ、やっとのことで車にたどり着く。

 いやあ、疲れたなあ。何か、疲れを吹き飛ばすようなものないですか?

「フエラムネ、まだありますけど」と吉川課長が言う。

 いやそういうのではなく、酸っぱいのがいいなあ。梅干しとか。

「ございます」


 マジで?

 吉川課長が取り出したのは、梅しばだった。これも1個500円だという。僕は連続して2個食べた。疲れていた。酸味が体にしみた。しかし、梅の酸っぱさだけで、体が復調したわけではなかった。

 実はここに来る前僕は、仕事が詰まっていて、しかも夏風邪もひいていた。何とかなるだろうと、だましだまし来てみたが、どうやら体が悲鳴を上げ始めていた。

 大和さんと別れ、山を下りて本部へ向かう途中、僕は熱が出始めたのを感じていた。


 イトウガイドサービス本部に到着するころ、僕は大変な体調不良に襲われていた。

 タープの下に置かれたベンチに体を投げ出した。もう立っていられなかった。

 ダメだ体調が悪いです。熱が出たようです。

 すぐに吉川課長が体温計を持ってきた。測ると40度近い。それを見た途端、目がくらくらしてきた。

 朦朧とする中、伊藤さんと吉川さんがパタパタと動き回っているのが分かった。頭の上に氷嚢が乗せられた。頭の下には氷枕がセットされた。少し気持ちはいいが、よくなる気配はない。

 伊藤さんがどこかに電話をかけ始めた。

「……か? 今どこにいる?……熱出してよ……そうそう。でな……カワヘビよ。そうそう……タマゴ無いか?……そうだな……すぐに欲しいな……それじゃよろしく」

 目の前が暗くなってきた。僕はそのまま気を失った。

「……さま……丹様……お加減はいかがですか?」

 伊藤さんの声で目を覚ました。僕は30分ほど気を失っていたらしい。

 えーと、まだ全然ダメです。起きられません。

「特効薬が届きましたので、お飲みください」

 目の前には、先ほど山で別れた大和さんがいて、手にグラスを握っていた。中にはなにやら赤い物体が入っている。目の焦点が合ってくると、それは生タマゴに似た物体で、普通のタマゴよりは小ぶりで、色だけがまるっきり違う。真っ赤だ。

 えーと、それは何でしょう。

「これは、この辺の山に棲むカワヘビのタマゴで、体調不良の特効薬です。何にでも聞く万能薬なので、安心して飲んでください」

 いや、安心してって言われても、カワヘビってなんですか? 聞いたことないんですけど。

「えー? ご存じありませんか? 胴体が太くて、寸づまりのヘビで、とにかくタマゴが抜群に効くんです」


 胴体が太くて、寸づまり? それって伝説のツチノコのみたいだなあ、と僕は回らない頭で少し思った。

 差し出されたグラスの中の赤いタマゴは、おどろおどろしくて、とても口に入れたい代物ではなかったけれど、それをくどくど説明して、飲むのを拒否する方が億劫だった。伊藤さんと大和さんの言うことに従った方が楽だと思い、僕はグラスを受け取って、一気に飲み干した。赤いタマゴは普通のタマゴとは全く違い、強烈に苦かった。

 またしばらく、僕は気を失っていたようだった。ふと目が覚めた。

「おや、丹様、お目覚めですか。体調はいかがでしょう」

 ええ、少し良くなったような気が……

 僕はそういってベンチに起き上がる。あれ? 身体を覆い包んでいただるさが霧散していた。頭痛も消えていた。腰の痛みもない。何より熱が完全に下がっていた。測ると、36度5分。平熱だ。

 治ったみたいです。

「カワヘビのタマゴを飲んで頂きましたので、熱が引くのは当たり前です。急激に回復するのがカワヘビのタマゴの効能ですから、もう大丈夫でしょう。そろそろ肉を焼こうかと思っているのですが、丹様は召し上がって行かれますか?」

 急に腹が減ってきた。

 ええ。体調が良くなったので、ごちそうになります。

「飲み物はいかがいたしましょう」

 のどが渇いているのに気が付いた。

 では、ビールを。

 死にそうなほど熱が出て、わけの分からないタマゴを飲まされてから30分。僕はビールを飲むほど回復していた。

 生ビールが届く。一息に半分ほど飲み干す。病み上がりとは思えないほど、ビールが美味い。


 ところで伊藤さん、あのタマゴなんですが。

「ええ、カワヘビですね」

 それって、この辺に結構いるもんなんですか?

「見たことないですか? いますよ。さすがに街中では最近は見なくなりましたけど、昔は家の裏の林とかにもいたもんですよ。噛まれると、マムシよりも猛毒ですから、年に何人かは救急車で運ばれたもんです」

 胴が太いとか言ってましたけど。

「そう。胴が太くて、短くて、頭が三角で、緑色のタマゴを産むんです。この辺にはあまりいなくなりましたけど、まだ山に行けばたくさんいますよ」

 それツチノコじゃねえか、と僕は思った。伝説の未確認動物。見つけたら100万円っていうキャンペーンもあった気がする。いるのか? 本当に。でもまあ、雫石ならいてもおかしくないか。

「丹様、肉が焼けました」

 吉川課長の声がした。

 ビールを片手に、肉をほおばる。視界の隅の地面を、黒い物体が横切った。短くて太いヘビのような生物に見えた。


(了)

TACKLE DATA

ROD ロッド無用、リール不要。虫取り網と虫かごは必携のこと
WEAR 虫刺されを考慮して長そでに長ズボンが望ましい。「オレはヤブ蚊もアブも平気だぜ」という人は短パンも可
SHOES 長靴がベスト。ワークブーツもGOOD。スニーカー可。サンダル不可
EYES カブトムシやクワガタを見分ける目
STOMACH 強力なもの。前夜から食事は控えて、もちろん朝食は摂らずに参戦すること
DRUG 定番のウコン系や、胃腸薬系などの薬物を必要に応じて適量摂取する

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丹 律章 Nobuaki Tan


ライター

1966年岩手県生まれ、神奈川県在住。フリーランスライター。「ルアーフリーク」「トラウティスト」の編集を経て、1999年フリーに。トラウトやソルトのルアー、フライ雑誌の記事を多く手掛ける。伊藤秀輝とは「ルアーフリーク」の編集時代に知り合い、25年以上の付き合いになる。