FROM FIELD
丹 律章
FIELDISM
Published on 2013/03/08
イトウガイドサービス
2012夏 前編
羊とカジカとウナギの夜の巻
2012年8月
文=丹律章
(あらかじめお断りしておきます。この物語はフィクションです。イトウガイドサービスという組織は存在しません。)
しかしまあ、暑い夏だった。
夏は暑いものと相場は決まっているが、それにしても2012年の夏は暑くて、その暴力的な暑さに毎日文句を言いながら、僕は自分が住む神奈川の夏を過ごしていた。
「いやあ、毎日暑いねえ」「暑くて死にそうだねえ」「嫌になるねえ」。まだ若いのにそう簡単に暑さで死にやしないし、嫌になったところで暑いのに変わりはない。でも、文句の一つも言いたくなるのが夏の暑さだ。
とはいえ、冷夏なら冷夏で、暑くないのは夏らしくないとか、暑くない夏はクリープを入れないコーヒーだとか、水着にならないグラビアアイドルだとか、グラドルなら森下千里がいいとか、訳のわからない文句を僕らは言うことになっている。
どのみち満足することを知らないのが、我ら釣り人という生き物。「あと1cmで尺なのに」とか、「メスじゃなくてオスだったら」とか、いつも文句だらけだ。
その暑い夏、僕はお盆の帰省に合わせてイトウガイドサービスを予約することにした。
イトウガイドサービスの予約センターに電話を入れる。ちなみにこの電話番号は、イトウクラフトの番号ではなく、ガイドサービス専用の回線だ。
プルルルル。
「はい、イトウガイドサービスでございます」
イトウクラフトに電話すると、最初に伊藤さんが電話を取ることはあまりないが、ガイドサービスの番号なら、100%伊藤さんが出ることになっているようだ。
「ガイドの予約をお願いしたいのですが」
「はい、丹様ですね。いつもご利用いただきましてありがとうございます。ガイドの件、承知しました。日に
ちはいかがいたしましょう」
僕は8月のお盆前の平日を指定した。
「それで、最近の釣り場の状況はどうですか」
「ずっと雨が降っていないもので、渇水でどこもイマイチな状況ではありますが、魚のいる場所だけはおさえてございますので、ご安心ください」
「それは楽しみです。あと、何か変わったサービスとかないですか」
「ええ、特別にはございませんが」
「たとえば、秋に発売予定の、新作のなんでしたっけ、ボウイでしたっけ? それを特別に使わせてもらえたりはしませんか?」
「他でもない丹様のご依頼ですが、いかんせん、ボウイはまだ最終プロトの段階でして、お客様に用意するのは難しいかと思います」
「そこを何とかなりませんかね?」
実は僕はこの新作ミノーに興味津々だったのである。釣具店に並ぶ前に購入できないものか、それが無理なら、何とかプロトでも使わせてもらえないか、今回の釣りの狙いの一つはこれだったのだ。
「ボウイは、まだフィールドスタッフにも渡してございません。ですから、丹様の希望でもさすがに難しいのです。あ、それではこういうのはどうでしょう」と、伊藤さんは、別の提案をする。「1泊2日の『ガイド&BBQプラン』というのがご用意できますが、いかがでしょうか。前日の昼過ぎにお迎えに上がり、午後から夜にかけてBBQを楽しんでいただき、翌朝から釣りに出かけるというものでございますが」
前のりのBBQパーティか。それは楽しそうだ。
「では、それをお願いします」
僕はそのコースを予約した。当初の目的のひとつであったボウイの件は体よくあしらわれてしまった。
そんなこんなで、予約した日に待ち合わせ場所で待っていると、伊藤さんが迎えに現れ、すぐさま雫石のパーティ会場へ移動。イトウガイドサービス本部のパーティ会場前で、僕は吉川課長の出迎えを受けたのだった。
席に案内されると、すぐに生ビールが届いた。ジョッキはカキンカキンに凍え、中身のサッポロは、それが自分の仕事だとばかりにキンキンに冷えている。客のビールの好みを完全に把握しているのもイトウガイドサービスの特徴である。
炭火の上に乗る鉄板には、まずジンギスカンが投入された。
「新鮮なラム肉でございます。やわらかい羊を厳選いたしました」と、吉川課長が言う。
「厳選? ここら辺の肉屋では、選べるほどラム肉に種類があるんですか?」
「いえ、そういうわけではございませんが」
見ると、吉川課長のTシャツには、赤い小さなシミがあった。赤……血の色……新鮮な肉……そういえば近くには全国的に有名なKで始まる農場がある……K農場では羊を飼っている……まさか!
「丹様、何かあらぬ想像でもなさっているのですか?」
「いえ、そういうわけでは……新鮮な肉っていうから、いやさ、吉川課長が今しがた羊をあれしたのかなと思って……いや、冗談ですよ……ハハハハ」
「……ま、まさか……」
吉川課長のこめかみがピクリとひきつった。でも、まさかね。そうだよね。
ラム肉を平らげたら、牛肉が鉄板に乗った。
「これも新鮮な、南部短角牛でございます。いい牛を見繕ってステーキにさせて頂きました」
K農場には肉牛もいる。南部短角牛も多分いるだろう。やはり、そのまさかなのか?
「高そうな肉ですねえ。この辺の肉屋さんでは、100gどれくらいするのかなあ」
「ええ、この肉は小売店を通してませんから、一般的な価格は分かりかねますが」
やっぱりそうか……小売店、つまり肉屋から買ってない。近くにはK農場……。僕は想像する。伊藤さんと吉川課長が夜陰に乗じて農場に忍び込み、動物の小屋に近づく。音もなく忍び込み、ヤマメをだますような手口で動物を誘い出し、羊一頭と牛一頭を運んでくる……相当な重労働だが、彼らならやってできないことはないだろう。
「どうでしょう。おいしゅうございますか」
「は、はい。おいしいです」
「そうですか。喜んでいただけるなら、苦労の甲斐がございました」
「そりゃあ、牛と羊だから大変な苦労ですよねえ。夜中に運んできて解体したんですか?」
「解体? 何の話でございますか? いい肉を手に入れるには、いい卸売業者を探して業者に特別な部位を指定したりと、なかなか大変なのでございます」
「あ、ああ。そうですよね。そうですよね。まさか自分たちで……いや、そうですよね」
しかし、僕はちらっと見てしまった。
建物の裏手の駐車場に、家畜運搬車というのだろうか、まるで牛や羊でも運ぶ時に使うような、鉄の柵で覆われた荷台のあるでかいトラックが置かれていたことを……。イトウガイドサービスでもイトウクラフトでも家畜は飼っていない。となると、あれはいったい何に使うのだろう。
肉を食って腹が落ち着いたところで、鉄板が外され、川魚が並んだ。カジカだ。僕はカジカに目がない。胃袋は満タンのはずなのに、気が付くと僕はカジカの串を取り上げて口に運んでいた。
美味い! ヤマメをさらに濃厚にした香りと味。絶品である。
僕は、あまりの幸福感に呆然とし、空を見上げる。緑の木々が天を覆い、その隙間から空の青と雲の白が見えた。高校生が初めて彼女とキスしたときだって、これほどの幸せはないだろう。
「ご満足いただけましたか?」吉川課長が近づいてきた。
「ええ。大満足です。特にカジカなんて、神奈川じゃ無理。やはりここに来ないと食べられないですからねえ」
「そう言っていただけるとは、嬉しい限りでございます。あ、ビールがぬるくなってしまったようですね。新しいのをお持ちしましょう」と、吉川課長が底に5cmほど残ったジョッキをもって姿を消す。
程よい酔いに任せて目をつぶる。風が木々の間を抜ける音が聞こえる。炭がパチンとはぜる。ヒグラシが鳴いている。
イトウガイドサービス本部の裏手はすぐ山だ。裏山はそのまま奥羽山脈に続いていて、動物も豊富。キジなどの野鳥はもちろん、カモシカやツキノワグマも、すぐ近くに姿を見せるという。そんな自然が近い、というより自然のど真ん中の環境にいるからこそ、釣りの腕も上がるのだろう。ヤマメの気持ちが分かるなんていうのは、練習をすれば身に着くような性質のものではないのだ。
ひょっとしたら、伊藤さんと僕との腕の差は、住んでいる環境によるものが大きいのかもしれない。
裏手の山の方から、何か音が聞こえた。何だろうと耳を澄ます。動物が歩いているような音。ガサガサとやぶをかき分ける音だ。えっ、クマ?
何か大型の動物が近づいてくる。立ち上がって身構えると、森から姿を現したのは、イトウガイドサービスの森林統括本部長である大和さんだった。森林統括本部とは、山の幸全般を対象としていて、キノコ狩りや山菜取りなどのガイドも行っているイトウガイドサービスの一部門だ。
大和さんの腰には、ビクがぶら下がっていた。
「丹様がいらっしゃると聞きまして、天然ウナギを捕りに行っておりました。首尾よく大物ウナギの捕獲に成功いたしました」と、大和統括本部長はビクからウナギを出して見せた。ウナギはもちろん川の生物だが、ヤマメやサクラマスと違ってゲームフィッシングではなく漁に近い。だから山を専門とする統括本部長の領域なのだ。
「天然のウナギと養殖ものの違いは、まずは色です。腹がこういう風に黄色っぽいのが天然、養殖は白いんです。そして、顔も上から見て丸みを帯びているのが天然ものですね」
大和統括本部長は、ウナギをまな板に乗せ、あっという間にさばいてしまった。あとは、1時間ほど待っていれば、かば焼きが出来上がるという寸法だ。
冷たいビールを飲みながら、かば焼きが出来上がるのを待つ、普段はそれほどたくさん食べる方じゃないのに、ここに来るとやたら食べてしまう。なぜだろう。
ゆったりとした時間が流れる。奥羽山脈に日が沈み、夕焼けのピンク色がきれい。明日も晴れそうだ。
かば焼きができた。
全く臭みの無い、素晴らしく美味なウナギ。イトウガイドサービスの良さの半分は、もしかすると釣りではなく、食べ物なのかもしれない。いや、多分そうだ。まぶたが重くなってくる。ああ、気持ちがいい。
「丹様、布団の準備が整いました」
伊藤さんの声で目が覚めた。どうやら居眠りしていたらしい。
「明日も早いですから、お休みになった方がよろしいかと存じます」
森の入り口に、小さなテントが張ってあった。入り口に、蚊取り線香と、ランプ、そしてさらにもう一杯のビールのジョッキが置いてある。
「でも、動物とか出ませんか。クマとかカモシカとか」
「大丈夫です。この辺のクマは気立てがいいので、襲ったりしません。ちゃんと言い聞かせてありますので」と伊藤さんが言う。
言い聞かせるってどういうことだ?
「それに、私がテントの前で番をしておりますので」吉川課長が言う。
まあ、いいか。僕はビールを飲み干して、テントに潜り込んで、すぐに意識を失った。
夜中、グルルルという獣の声が聞こえたような気がした。
それが熊だったのか、テントの前にいる吉川課長のいびきだったのかは定かではない。
TACKLE DATA
WEAR | 夏なので、Tシャツ&短パンという軽装で十分。汗をかいた時の着替えを用意したほうがいい |
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SHOES | サンダル。足の裏が強ければ裸足でもOK |
ATOMACH | 強力なもの。前夜から食事は控えて、もちろん朝食は摂らずに参戦すること |
DRUG | ウコン系やキャベ2、ソルマックなど必要に応じて摂取するのが望ましい |
ANGLER
丹 律章 Nobuaki Tan
ライター
1966年岩手県生まれ、神奈川県在住。フリーランスライター。「ルアーフリーク」「トラウティスト」の編集を経て、1999年フリーに。トラウトやソルトのルアー、フライ雑誌の記事を多く手掛ける。伊藤秀輝とは「ルアーフリーク」の編集時代に知り合い、25年以上の付き合いになる。