イトウクラフト

TO KNOW FROM FIELD

FROM FIELD

FIELDISM
Published on 2010/11/29

イトウガイドサービス
2010秋 前編

2010年9月20日、秋田の渓流
写真=丹律章、伊藤秀輝
文=丹律章

※あらかじめお断りしておきます。この物語はフィクションです。合成写真は使っていないし、魚のサイズはごまかしてないし、実際に釣り当日に釣った魚を掲載していますが、イトウガイドサービスという組織は存在しません。



 今回は、2日連続のガイドサービスを利用してみることにした。

 偶然タイミングよく連休が取れたのもひとつの理由だが、夏にこのガイドを利用して、35cmのヤマメを釣ったことで気を良くしたというのも、もうひとつの理由である。

 禁漁前に、もう一度いい思いをしときたい。願わくば、同じようなサイズのヤマメを。もちろんさらにひと回り大きくても一向に構わない。それが真っ赤に色づいた秋ヤマメであっても全く差し支えない。さらにそいつがオスのハナ曲がりであったとしても苦しゅうない。

 おりしも釣り初日の9月20日は、秋田の渓流最終日。僕らは、当然ながら秋田の渓流を目指していた。フルスロットルで仙岩トンネルに向かいつつ、伊藤さんは滑るテールにカウンターをあてる。車内にはモーツァルト。岩手と秋田を分ける山々は、霧に包まれている。

「本日も、イトウガイドサービスをご利用いただきまして、まことにありがとうございます」

 僕は2日間とも、Sコースというスペシャルコースを依頼した。Sコースは、イトウガイドサービスが提供する最高ランクのコースで、人の多い有名河川ではなく、あまり人に知られておらず釣り人が少ない支流や、プレッシャーが低く魚が多い細流などに案内してもらえる。それゆえ、基本料金の10万円に加えて、3万のオプショナル料金が発生する。1日13万円、掛ける2日。26万円。

 正常な頭で考えると異常な料金だが、イトウガイドサービスを利用するときには正常な思考回路は邪魔になる。清水の舞台に飛び降りるような気持ちで支払いをするのではなく、イトウガイドサービスに予約の電話をする時点で、清水の舞台から飛び降りていなければならないのである。

 イトウガイドサービスの利用料金はこれだけで終わらない。ラインを結んだり、虫が多い時期にキンチョールをスプレーしたり、暑い夏にはエアコンの温度を下げるのにもいちいち料金が発生する。油断していると、それらも膨大な額になる。

 たとえば、秋田へ向かう車中のモーツァルトは、片道分で1000円である。出発時に、AKBとモー娘と、どちらがいいか聞かれたので、僕は迷わずオプションのモーツァルトを頼んだのだ。モーツァルト以外にも選択肢はあって、さだまさしは1500円、五木ひろしは2000円だという。この辺はいつも通りの良く分からない料金設定である。さらに伊藤さんがリクエスト曲を歌うというオプションもあり、これは1曲5000円らしいが、今のところそれをオーダーした人はいないらしい。

 ちなみに、イトウガイドサービスではクレジットカードは使えない。取り扱いは現金のみなので、注意。10万円以上の現金をベストのポケットに入れて釣りをするのも、いかがなものかとは思うのだが。

 朝晩は涼しくなってきたが、日中は30度近くまで気温が上がる。北東北も今年の夏は異常な暑さだ。

 まだ暑いですねえ。霧の向こうに強烈な太陽光線を感じながら、伊藤さんに話しかける。

「そうなんです。秋だというのにね」

 秋といえばキノコですよね。キノコ食いたいなあ。

 何気なくそうつぶやいたら、伊藤さんが一瞬固まった。

「キ……ノコで……ございますか?」

 うん、そう。マツタケとかシメジとか出てるんじゃないんですか。

「いやあ、実は……」

 伊藤さんが困った顔をするのを、僕はこのガイドサービスを利用するようになって初めて見た。

 普段の岩手なら、お盆を過ぎると一気に秋の気配が漂い始める。朝晩の冷え込みが始まり、山沿いでは気温が一桁に下がることも珍しくない。しかし今年は、夏の暑さが9月まで続いたせいで、山の季節も遅れているというのだ。

「キノコがねえ、まだ出ていないんですよ。残念ながら」

 僕はちょっと無理を言ってみたくなった。でもさ、何とかなるんじゃないですか?

「ところがですねえ。こればっかりはどうにもなりません。渓流を歩いていても、ボリすら出てないんですから話にならないんです」

 さらに意地悪を言ってみる。あれ、イトウガイドサービスに、不可能の文字はありましたっけ?

 そういうと、伊藤さんのこめかみがピクリと反応した。

「……何ですと」

 伊藤さんが怖い目でこちらをにらむ。あの、危ないから前向いてください。

「ふ、不可能ならいいんですけど……」

 伊藤さんの目が、細くなった。

「もちろん、我がガイドサービスに、不可能などという文字はございません。あるわけ無いじゃないですか」

 伊藤さんの目が据わっている。

 そして、路肩に車を停め外に出ると、どこかへ電話を掛け始めた。


 予想に反して最初に訪れたのは、支流が流れ込む本流のポイントだった。遠くにアユ師がちらほら見える。

「本流から支流に上るヤマメをチェックしましょう。秋が遅れているので、そろそろかもしれません。出ればでかいです。しかも彼らは群れで遡上しますから、1匹だけってことはありえません。35cmの連続ヒットだってありえます」


 しかし、残念ながら群れの遡上はタイミングが合わなかったらしく、ルアーにヒットする魚はいなかった。僕らは次に支流へ向かった。最近では珍しい、人の少ない流れだ。

 底石がごろごろする深みから、竿先に反応が伝わった。さほどロッドは派手に曲がらなかったが、25cmあるかないかのヤマメがネットに収まる。


 ちょっと釣り上ったが、対岸に先行者の車を見つけたので、その先は諦めて、下流を探ってみることにする。そして、僕は失敗をやらかしてしまうのである。

 小さな堰堤の流れ出し。ちょっとした深みにミノーを放り込み、3mほどリトリーブしたあたりでゴンと魚が乗った。しかし決定的にアワセが遅れ、すぐにフックが外れてしまった。

 その15m下流。2mほどの水深があるスポットで1度魚がミノーを追い、次のキャストで首尾よく食いつかせたものの、これもばらし。


 2つとも、いいサイズだった。どちらも尺がらみのサイズで、後のほうがちょっとでかかった。もしかすると前回のような35cmかも。うーん、確かに魚がいるところには連れてきてもらっているんだけどなあ。

「次に行きましょう」

 伊藤さんが見切りをつけて、さらに山奥へ入っていく。

「この辺は、クマが結構いるので気をつけてください。ツキノワグマですからそれほど心配はいりませんけどね」

 そりゃ、秋田にはヒグマはいないだろうけどさ、僕はツキノワグマだって十分に怖いんですけど。

「そうでございますか。もし出た場合は、後ろを向いて逃げ出さないようにお願いします。クマは逃げると追いかけますから。まあ、私がいるから大丈夫だとは思いますが」

 守ってくれるんでしょうか。

「もちろんです。そのためのガイドです」

 ああ良かった。

「シッ、シッって追い払って差し上げます」

 シッ、シッだけですか。

「ダメですか?」

 ダメですダメです。

「クマが近づいて来たら、木の枝を振り回して追い払うというのもあります」

 木の枝で、クマが逃げていくんですか?

「ええ。クマも人間が怖いですから。ただ、枝を払って、棒を作るのに5分ぐらいかかりますので、それまでクマが近づいてこなければいいんですけど……」

 ダメじゃないですか……。目の前にクマが現れたらどうするんですか。

「まあ、念のためにクマスプレーを持ち歩いておりますけどね」

 そう! それを待っていたんです。それを聞いてちょっと安心しました。

「ですが、クマスプレーは、噴射1秒当たり5000円になります。必要なときはおっしゃってください。1秒とか、2秒とか。指示に応じてスプレーしますので」

 いやいや、クマが出たら、僕にそんな余裕ないですから。1秒5000円は払いますから、クマが危険な距離に近寄ったら迷わずスプレーしてくださいよ。僕に断る必要ないから、そちらの判断で、シューっとやっちゃってくださいね。

 そんなことを言いながら川を歩いていると、伊藤さんがいきなり立ち止まって、山の斜面を見上げた。遠くでガサガサと音がする。何? ク、クマ? ホントに出るの?

 薮の中を何者かが歩く音がする。ガサガサ、ガサガサ。音は確かに僕にも聞こえるのだが、その方向を見ても何も見えない。熊笹の斜面が広がるだけだ。


 ガサガサ、ガサガサ。確かに何かいる。熊笹の中を移動している。やっぱり、ク……マ……?

「大和係長か?」

 伊藤さんが叫ぶ。何? 係長って何?

「おう、オレだ」

 笹薮から姿を現したのは、イトウガイドサービスのメンバー、大和博さんだった。薮の中で見えないのもそのはず。彼は全身迷彩色の服を着て、熊笹の斜面を下りてきたのである。

「で、どうだ」

「やっと見つけた」

 何、何のこと? クマでもいたの?

 大和係長が背負いかごから取り出したのは、立派なマイタケであった。味ではマツタケに勝るという天然のマイタケを、秋が遅い山で見つけてきたのだ。

 この大和係長は、釣り雑誌にもたびたび登場する人物だが、実は山の達人でもある。春は山菜、秋はキノコ。何かと山に入って、トラウト以外の収穫にも精を出している。

 いろいろな逸話を持っている大和係長だが、ひとつ例として「ヤマブドウの話」を紹介しようと思う。

 昔のことだ。10年とか、それくらい前。雫石のある町道沿いに立派なヤマブドウの木があって、大和係長はそれに以前から目をつけていた。しかし、近くに民家も多く、往来の激しい町道沿いなので、木に登ってそれを収穫するにはひと目がありすぎた。

 秋になってブドウも熟しただろうそんな矢先、雫石に雨が降った。これ幸いと、彼は出かけることにしたのである。雨の日にわざわざ出かける人は少なかろう。今日がチャンスだ、と。

 それでも目立たぬよう、彼は黒い雨ガッパを着て、黒い長靴に黒いタオルを頭に巻いて、その木に登りはじめたのだった。

 ブドウは、予想通りの大量だった。彼はニカニカしながら、枝から枝へと移動しつつヤマブドウをつんでいった。

 不幸なことに、その町道の先には観光施設があった。そして残念なことに、その日は日曜だった。

 観光バスが止まったのだという。

 そして、バスガイドの声が、大和係長にも聞こえたという。

「皆様ご覧ください。木の上に、一頭のクマが登って、ヤマブドウを食べております。雫石はクマの多い土地ですけれど、こんな間近でクマを見れるチャンスは、めったにございません」

 観光バスの窓が開いて、アーとかオーとか声が上がった。クマだクマだと興奮した声も聞こえた。ストロボが何度も発光した。雨の日に真っ黒い衣装で木に登っていたら、普通それを人だとは思わない。

 木の上で大和係長は動けなくなった。クマの真似をして、ガルルルと、うなり声をあげたとかあげなかったとか。

 そんな逸話を持つ大和係長が、マイタケを背負って、山から下りてきた。

 クマのように山を歩くが、クマではない。ヤマブドウも採るが、マイタケも採る。


 聞けば、僕からの無理難題なリクエストを受けて、伊藤さんは大和係長を山に向かわせたのである。そして、見事、秋が遅れている山の中で、彼はマイタケを探し当てた。

 イトウガイドサービスに、不可能という文字が無いことを、大和係長は証明してみせた。その日、それ以上魚は出なかった。だけど、僕は満足だった。

 マイタケの天ぷらと、マイタケ汁は、尺ヤマメにも勝る味がした。マイタケオプション料金は、5万円だった。

 


※翌日の釣りに関する「イトウガイドサービス2010秋 後編」は、2011年初春に発行する、イトウクラフトカタログに掲載予定です。ご期待ください。

TACKLE DATA

ROD Expert Custom EXC510PUL/ITO.CRAFT
REEL Cardinal 3/ABU
LINE Super Trout Advance VEP 5Lb/VARIVAS
LURE Emishi 50S 1st Type-Ⅱ/ITO.CRAFT
LANDING NET North Buck/ITO.CRAFT

ANGLER


丹 律章 Nobuaki Tan


ライター

1966年岩手県生まれ、神奈川県在住。フリーランスライター。「ルアーフリーク」「トラウティスト」の編集を経て、1999年フリーに。トラウトやソルトのルアー、フライ雑誌の記事を多く手掛ける。伊藤秀輝とは「ルアーフリーク」の編集時代に知り合い、25年以上の付き合いになる。