FROM FIELD
丹 律章
FIELDISM
Published on 2010/08/30
イトウガイドサービス
2010夏
2010年8月9日、秋田の渓流
写真=丹律章、伊藤秀輝
文=丹律章
(あらかじめお断りしておきます。この物語はフィクションです。写真は合成ではないし、釣り当日に釣った魚を掲載していますが、イトウガイドサービスという組織は存在しません。こんなぼったくりバーのようなガイドがいたら、それはそれで面白いけれどね)
イトウガイドサービスを利用し始めて4年目になる。
これまで岩手と秋田の川を、このガイドサービスを利用して歩いてきた。いい魚も釣ったし、釣果がイマイチだった日もある。
今年も、お盆前に帰省し、イトウガイドサービスを頼むことにした。料金は確かに高い、でも、確実に魚のいる流れに立たせてくれる。それは保障する。関東から遠く離れた北東北の川とはいえ、盛岡市のルアー人口は相当のもので、情報も無しに川に入れば、ボウズになる可能性は低くない。フィッシングプレッシャーの高い川が多い中で、いい場所に連れて行ってくれるのは、確かにありがたいサービスなのである。
約束の4時に、イトウガイドサービス本部に到着した。
本部前の駐車場では、代表の伊藤秀輝さんと、同じ組織のメンバーである吉川勝利さんが待っていた。
「おはようございます。毎度、イトウガイドサービスをご利用いただきまして、ありがとうございます」と、伊藤さんと吉川さんが声を揃えて言う。
マナカナじゃないんだから、そんなハモって言わなくてもいいと思うんですが。それに、僕は今日、2人のガイドを頼んだ覚えはありませんけど。
「ええ。それは承知しております。今回タン様がオーダーなさったのはガイド1名のSコースでございます。ただ、今回は課長の吉川も同行させていただき、彼の部長昇進テストを行わせていただきたいと思います」
吉川さんが課長であることを知ったのも初めてなら、イトウガイドサービスに部長課長という役職があるのも初めて知った。イトウガイドサービスには、代表の伊藤さん以下、何人のガイドが所属しているのかよく知らないけど、現在課長の吉川さんは、部長への昇進を狙っているらしい。
「邪魔にならないようにいたしますので、ご了承ください」
イトウガイドサービスは、標準料金が10万円と普通の釣りのガイド料金の2倍程度する。しかも、今回頼んだSコースは追加料金が3万円と超高額なのである。その上ガイドが2名になると料金は「さらに倍!」と、クイズダービーの最終問題のように跳ね上がってしまう。気が弱い人なら、その場で失神してしまうだろう。
しかし今回は異例のことで、釣り自体は、2人のガイドを伴って行うのと変わりはないが、料金はガイド1人の通常価格であるという。僕をサポートするガイドが1人増えるだけ。僕にしてみれば断る理由はない。部長昇進ですか。吉川課長がんばってね。
雑談をしながら、お土産を手渡す。僕が今住んでいる神奈川県の「湘南せんべい」である。客がガイドにお土産を持参する必要はないのだが、このことで多少なりともイメージを良くしておけば、1日の釣りが快適に過ごせるかもしれない。もしかすると、オプショナルコースを多少値引きしてくれるかもしれない。このガイドサービスは、言葉遣いは丁寧だが、やることはえげつないのである。
「タン様、オーダーいただいておりましたネットが出来上がりました」
ああ、忘れていた。もう忘れてしまうほど大昔に頼んでいたネットがやっと出来上がったのだ。最新のノースバックである。さすがの仕上がり。僕は、丁重に押し戴く。
客とガイドの立場が、しばしば逆転してしまうのが、このガイドサービスでもある。
最初のポイントに着いた。
釣り支度をはじめる。ふと、忘れ物に気がついた。ウェーダーの腰ベルトである。
しまった。ベルト忘れました。
「そうですか。あつらえましょうか?」と、伊藤さんがいう。
「皮製のベルトのレンタル料金は1日3000円になります。えっ、ちょと高いですか? それなら、川原のアシをよったものも用意できます。1日500円です。もちろんこれから作業しますので10分ほどお時間をいただきます。ですが、誤って川に流されたときの強度は保障できません」
やばいなあ。どう考えても命のことを考えたら皮だよなあ。
「タンさん、後ろにぶら下がっている黒いのは何ですか?」
吉川課長が言った。
えっ、どれ? あ、あった。これ、ベルトです。見つかった。パタゴニアのウェーダーは、腰の後ろにベルトループがあって、ベルトはそこにぶら下がっていたのだった。
ああ良かった良かった。3000円申し込む前でよかった。
準備が整い川に立つと、伊藤さんが川原にヤマカガシを見つけた。
伊藤さんが吉川課長に目配せする。すると、吉川課長が僕にヤマカガシの姿をちゃんと見せようと、捕獲しようとしはじめた。いや、いいって。そんな気持ち悪いの見なくていいから。
幸か不幸か、ヤマカガシは逃げ切ったようだ。部長昇進試験を兼ねていると、サービス精神もさらに旺盛になるらしい。ちょっと困ったことだ。
「このエリアは、なぜか腹オレのカラーが効果的です。理由は分かりませんが、データではそうなっております」と伊藤さんが言う。
僕は、アユカラーのファーストを結んでいた。しかし、そう言われて腹オレにしない手はない。しかも今回は、来る前に好きなファーストを大量に仕入れてきている。もちろん腹オレもある。
以前は現場でオススメカラーを指定され、持っていなかったので現地購入したこともある。普通、直接購入すると少し安くなりそうなもんだが、イトウガイドサービスは違う。何と、釣具店で買う定価の、倍の値段をふんだくられるのである。そんな経験をしたので、今回は現場購入の必要がないように、あらかじめ買ってきたのだ。
結んであったアユカラーをラインカッターで切ると、ルアーが手元から地面に滑り落ちた。とりあえずそれは放っておいて、腹オレを結んでから、落としたアユカラーを探す。あれっ、無い!
「どうなさいました?」吉川課長が近づいてきた。
いやあ、ルアーを落としたんだけど、見当たらないんです。動いてないから、間違いなくここなんですけど。
「お探ししましょう。もちろん、このサービスはガイド料に含まれております」
あー、良かった。ガイド料金の中に、何が含まれていて何が含まれていないのか、それは謎だ。これまで、きちんと教えてもらったことも無いし。
だから、ルアー探しは1分100円ですといわれても不思議は無いのだ。
しばらく探すが、アユカラーのルアーは見つからない。おかしいなあと立ち上がったとき、伊藤さんが言った。「ベストに何かぶら下がってますが」
えっ、どこ? ベストの左側のポケットに、探していたルアーが引っかかっていた。ウェーダーベルトといいルアーといい、何か調子の悪い出だしである。
まず狙ったのは、対岸にテトラが入っている場所。もちろん対岸に流芯があって、底石も入っている。僕はファーストをフルキャストし、深みからヤマメの反応を探る。もしかしたらサクラマスさえいてもおかしくはないポイントなのだが、芳しい反応はない。
セミの声が雑木林に響いている。遠くには真夏の入道雲がもくもく湧いている。対岸の土手道を女子高生が自転車で行き過ぎる。のどかな景色だ。釣りに来る理由のひとつはこういう景色を見たいからである。これだけで十分とは言わないが、肩がすっと軽くなる気がする。
反応なし。いない。肩が軽くなるのも良いけど、正直言えば、肩に力が入るヤマメのファイトの方も楽しみたい。
「おかしいですねえ」隣で見守っていた吉川課長が言う。
「ちょっと試してみても良いですか?」
どうぞと言うと、吉川課長はルアーを対岸に向けて弾く。ライナーで飛んだルアーは、僕より3m向こう、テトラぎりぎりに落ちた。
すぐに反応があった。25センチくらいのヤマメだ。
「いましたね」
はいはい。分かりました。技術の差ですね。直接下手ですねとは言わないが、ニヤニヤしながらテクニックの差を見せ付けるのが、このガイドサービスの特徴でもある。
その場所はあきらめて、支流に入ることにする。
しかし移動した支流は、2、3日前に人が入ったのか、ヤマメの反応がすこぶる悪かった。僕には見えないのだが、いい場所にルアーが入ると、ほんの少しヤマメが反応するのだそうだ。50センチくらいルアーを追うが、食いつきはしないと、伊藤さんが僕の隣で言う。
「あれは相当すれてますね」
既に日は高く、気温は30度を超えているだろう。夏は暑いものだが、ここまで暑くなくてもいい。25度くらいが理想なんだけど。
「残念ながら、北東北の温度管理までは行っておりません」
いやあ、冗談ですって。
「それでは、別の支流にでも行きましょうか」
魚も釣れないし、暑くて汗だくだし、冷たいものでも食べたいね。こんなときに、アイスクリームでもあればなあ。
「アイス……でございますか?」
いやあ、これも冗談ですよ。こんな山奥でアイスクリームなんてね。
「用意いたします」
えっ?
「15分ほどお待ちください」
伊藤さんが携帯電話でどこかに電話をすると、5分ほどして林道脇に車が止まった。伊藤さんと吉川課長が近づいて、何かを受け取る。クーラーボックスだ。
中には、ドライアイスで冷やされたソフトクリームのセットが入っていた。
伊藤さんが、ボールに入ったアイスクリームをこねて、コーンに乗せ、ソフトクリームを製作する。僕が木陰で休んでいると、吉川課長が対岸までデリバリーしてくれる。
「1個3000円のところ、タン様は常連のお客様でございますので、2980円に値引きさせていただきます。特別でございます。そのへんをご承知おきを」
たった20円で勿体つけるなら、値引きなぞしてくれなくてもいいけどね。
ソフトクリームの味は格別であった。苦しゅうない。山奥の渓流でソフトクリーム。これぞ、イトウガイドサービスの底力である。このサービスの奥深さが、リピーターをつかむのである。
噂では、オバマ大統領や、プロゴルファーのタイガー・ウッズなども、イトウガイドサービスの常連だという。それも本当かもしれない。
ソフトクリームを食べ終え別のポイントへ移動する。車をとめた場所から500mほど上流に、いい淵があると伊藤さんが言う。ざぶざぶと流れを漕いで、上流を目指す。
水深は3mほどありそうだった。でかい魚が潜んでいても不思議ではない。手前の岩盤に流れがぶつかっていて、対岸側に浅瀬に続くカケアガリがある。この辺が怪しい。
水深があるのでファーストのタイプⅡにチェンジして、キャスト&トゥイッチをする。3投目だったろうか、ミノーの後ろにグレーの影がゆらりと見えた。S字軌道を描きながら追尾している。でかいぞ。ハンドルを回すスピードを落として、トゥイッチングを細かくしてみた。食った瞬間は見えなかったが、予期していたのでアワセはさほど遅れなかった。
ヤマメは淵の深いところで銀色の明滅を見せ付け、ラインを体に巻きつけ、最後には水面を割って50センチほどジャンプした。
「ばらすな」「まだ体力残してるぞ」「そのままこらえて」「浮いてくるまで待って」伊藤さんの声が次々に飛ぶ。
やっとヤマメが水面に浮き、朝に受け取った真新しいネットの中に納まる。納めてみると、思ったより大きかった。ネットの枠の30センチを遥かにオーバーしている。
「さんじゅう……ご、だな」一目見て伊藤さんが言う。メジャーを当ててみると、本当に35センチだった。
35センチのメスヤマメは、10数年前に岩手内陸の稗貫川で釣った、33.5センチを超す、僕のレコードとなった。
この魚で僕は満ち足りた。
まだ日が高いが、祝杯のビールでも飲みたくなってきた。
「夜は、焼肉主体のパーティーがございますが」
タイミングよく伊藤さんが言う。
「カルビ、ラム、ホルモンなどを用意してございます。時間無制限の飲み放題食べ放題で2000円となっております」
安い。異常に安い。いまどき、1時間半の食べ物別の飲み放題でも2000円はする。ベルトのレンタルが3000円で、川で食べるソフトクリームも3000円で、食べ放題飲み放題が2000円。この辺がイトウガイドサービスの料金体系の、不思議なところだ。
行きます。飲みます。参加します。
「その他に特別召し上がりたいものなど、ございますでしょうか」
そうですねえ。魚も食べたいなあ。前に食べたカジカなんてありますか?
「ストックはございません。でも、何とかしましょう。イトウガイドサービスの辞書に不可能という文字はございません」
伊藤さんは5分ほど車を走らせ、支流に入ったところで車をとめた。リアゲートから三角網を取り出し、僕に渡す。
えっ、これから捕るんですか?
適当な石の下流に網を置き、石をひっくり返す。同時に足でごそごそと網に追い込む。カジカは簡単に捕まった。10分ほどで数匹のカジカを捕まえ、カジカ捕りは終了。1人1匹か2匹食べられれば、それでいいのだ。
カジカ捕りのオプション価格は2000円だった。焼肉ビール食べ放題飲み放題と同じ値段なんですけど。
「では、もう少し飲み放題を高くしましょうか?」
いや、そういう意味じゃないんです。大丈夫です。OKです。何も問題はありません。
ソフトクリーム、カジカ、35センチのスーパーヤマメ。この日の釣りは、僕にとって完璧な1日となった。これが、イトウガイドサービスを利用し続ける理由だ。また機会を見つけて、僕はこのガイドサービスを利用するだろう。いい釣りを期待しつつ。
今回のような35センチという幸運はそうそう訪れないだろうが、それほどまでに大きいヤマメが釣れなくても十分に楽しい。もちろん、35センチを超えるヤマメの可能性もゼロではないわけだし。
ちなみに、吉川課長の部長昇進試験は、残念ながら不合格だったそうだ。理由は、最初に入ったポイントで、客である僕のことよりも、土手を行く女子高生に気をとられていたこと。釣りが上手いだけでは、部長ガイドにはなれないのだ。
吉川課長、次の昇進試験はがんばってね。
TACKLE DATA
ROD | Expert Custom EXC510PUL/ITO.CRAFT |
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REEL | Cardinal 3/ABU |
LINE | Super Trout Advance VEP 5Lb/VARIVAS |
LURE | Emishi 50S 1st & 1st Type-Ⅱ/ITO.CRAFT |
LANDING NET | North Buck/ITO.CRAFT |
ANGLER
丹 律章 Nobuaki Tan
ライター
1966年岩手県生まれ、神奈川県在住。フリーランスライター。「ルアーフリーク」「トラウティスト」の編集を経て、1999年フリーに。トラウトやソルトのルアー、フライ雑誌の記事を多く手掛ける。伊藤秀輝とは「ルアーフリーク」の編集時代に知り合い、25年以上の付き合いになる。