イトウクラフト

TO KNOW FROM FIELD

FROM FIELD

大ヤマメの世界
Published on 2017/06/30

大ヤマメの世界 その8
『野性へのこだわり』

アングラー=伊藤 秀輝
文=佐藤 英喜

【最高の被写体】


 ヤマメの写真を撮るのが好きだ。


 カメラのファインダーを覗きこんで、数十センチ先のヤマメに焦点が合った途端、それまで聞こえていたはずの瀬音や木々のざわめく音が急速に小さくなっていく。さんざん山と川を歩き回った疲労も喉の渇きも忘れてしまう。それくらい没頭する。

 色鮮やかで、何より個性豊かなヤマメは、さらに眺める角度や光の加減によってもその表情を目まぐるしく変える。肉眼で見るよりも不思議とレンズ越しに眺めることで、そこに感じている美しさや険しさや力強さがより明確になり、その魚の持つ個性にパシッと心の焦点を合わせることができる。そんな気がしてならない。だから、家に帰って写真を見返すことよりも、むしろ写真を撮る行為そのものが楽しくてしょうがない。


 振り返ると、かつて釣り雑誌の編集者時代にそうしたヤマメを撮る楽しさを何倍にも膨らませてくれたのが、伊藤秀輝が釣り上げた数々の素晴らしいヤマメ達だった。

 なかでも特別な存在だったのが、本ヤマメである。

 本ヤマメはこれまで人の手によってヤマメが放流されたことのない水域で、独自に世代交代を繰りかえしてきたヤマメの天然種だ。長年伊藤はライフワークとして東北の山と川に、彼らを追い、ひとり注意深く観察と記録を続けてきた。

 存在自体が稀少な本ヤマメだが、独特の美しい発色やグロテスクな迫力、ハッと息を飲むほどの強い個性を放つその姿は撮影者にとっては衝撃の連続であり、撮る楽しさだけでなく、ヤマメを取り巻く環境についてまで深く考えさせられることとなった。僕は本ヤマメを通じて、ますますヤマメという被写体にのめり込んでいったのを覚えている。


「質はサイズを超える」

 伊藤がよく口にする言葉だが、その言葉にヤマメという魚の魅力と伊藤ならではのこだわりが詰まっている。

「魚を見る目を養えば、ヤマメ釣りはもっと奥深く、もっともっと面白くなる。例えるなら、花とか陶芸品の品評会に似てるよね」

 面白い例えだと思った。確かにそうかもしれない。素人の目には1位の作品も10位の作品も同じように見えて、その道のプロの目には瞬時に見極められる大きな価値の違いがある、なんてことは珍しくないのだろう。

 釣り上げたヤマメにメジャーを当てる。その示す数字は誰にでも分かるけれど、「質」についてとなると、釣り人の魚を見る目が問われる。

 誰よりもヤマメの質にこだわる伊藤は言う。

「パーマークの出方や色合いはもちろんのこと、シルエット、ヒレの形や大きさや色、各パーツのバランス、ウロコのきめ、背中や目の黒点、顔付き…、他にも見る所はたくさんあって、いろんな川で数多くのヤマメをつぶさに観察することで少しずつ魚を見る目が養われていく。部分部分のわずかな違いや、その違いの意味するものが分かってくる。それは、その川に昔からいる純粋な天然種なのか、それともその野生と放流魚、両方の血筋を汲む混血種なのか、はたまた放流魚であればどれ位のサイズでいつ時期に放たれた個体なのか。あるいは、居着きの個体なのか遡上タイプなのか。川で育つヤマメの姿には、どんな環境の中をどう生き抜いてきたか、その生き様がハッキリと映し出されてるんだよ」

 ヤマメは最高の被写体であると同時に、優れた観察眼を持つ釣り人にとっても興味の尽きない生涯の熱中対象なのである。


【空白の10年】


 ここに掲載したヤマメを、ぜひじっくりと眺めて欲しい。

 質はサイズを超える。その最良の教材となるヤマメが伊藤のネットに収まっている。サイズも見事なのだが、ヤマメの質を追い求めてきたからこそ出会えた個体だ。

 顔の先から尾ビレの端まで全てが美しく調和した、厳しい自然に育まれた結晶。純血を保ったネイティブ、本ヤマメの凄さがその姿に現れている。


 実は、このヤマメが釣れた川で、過去に伊藤は、野生の迫力を全身にまとった43cmもの大ヤマメを手にしている。2006年発行の雑誌「トラウティスト」vol.14に掲載したヤマメがそれだ。(この「大ヤマメの世界」その2にも掲載している)

 これまでも取り上げてきたが、伊藤は「マスの血が一切混じらない100%ヤマメの血をもった居着きの個体」を自らの理想のヤマメとして思い描いている。この43cmは、そういった大ヤマメに対する価値観を方向づけるきっかけとなった魚であり、「俺はこういう魚が釣りたくて釣りをしてるんだという理想像を具現化してくれたヤマメ」と語っている。


 気付けば、あれから10年もの歳月が流れていた。

 この川に限らず、この10年のあいだにヤマメを取り巻く環境は大きく変わった。人間の手や自然の猛威によって、多くの川が本来の渓相を留めていない。もちろん、それを補うべく渓魚の放流も行なわれてはいるが、もともと本ヤマメの棲む水域は養殖魚の放流がないからこそ天然種が残っている。だから、ひとたび個体数が減ってしまったら自然の回復力に頼るしかないのだ。それには相当の時間を要することは想像に難くない。

「この川について言えば、釣り人の数が増えて、特にエサ釣り師が貴重な魚とも知らずに稚魚を持ち帰ることで、一気にヤマメの個体数が減ってしまった。いろんな川のヤマメを数多く見てきたけど、この川のヤマメが見せてくれる迫力は本当に類を見ないんだ。何とかまた出会いたいと願って年に数回様子を見に来ても、やっぱりダメかぁ…って落胆するのが常だったね」

 10年前当時、この川における40cmクラスの大ヤマメの可能性について、「1年に1匹か2匹、生まれているかどうか」と話していた伊藤だが、現状では「5、6年に1匹」その程度の可能性しか見い出せないと言う。

 しかし、運命の時は何の前触れもなくやって来たのだ。

 年に数回のうちの1回、その日も水中のミノーに追尾するヤマメの影はなかなか見えなかった。たまに手の平サイズの小さなヤマメが追ってくると、伊藤はその姿を確認しただけで、あえて口は使わせなかった。

 そうして様子を見ながら釣り上がっていった先の淵で、それは起こった。


 伊藤の背中越しに水面を見ていて、本当に我が目を疑った。

 少なくとも僕は想像もしていなかった大きさのヤマメが、伊藤の操るミノーを追ったのだ。

「俺も正直、まさか!と思ったね」

 とは言え、伊藤の釣りはいつも通り冷静そのものだった。

「一瞬まさかとは思っても、すぐに脳が切り替わるんだよ。集中力が高まって、逆に魚の動きがスローに、よりハッキリと見える」

 普通なら緊張で体が硬直してしまうところだが、それはもう経験値によるものだろう。

 伊藤は、追ってきた大ヤマメの姿を見て、間合いを計りながらさらに誘って誘って、ルアーに口を使うところまで魚の興奮が高まった瞬間、あり得ない落ち着きぶりで口を使わせた。立ち位置からの距離、3mの所で、水面がぶわっと盛り上がった。アワセを決めると幅広の魚体がもんどりうって暴れ、水しぶきと流れのヨレの奥に鮮やかなパーマークが見え隠れした。誇張なく、心臓が飛び出しそうになった。

 ランディングしたヤマメを見て伊藤は、ガッツポーズを決めるわけでも歓喜の声を上げるわけでもなく、静かに笑みを浮かべ、こちらを振り返った。失われた10年と、そのあいだ願ってやまなかった出会いを噛み締めるように、笑った。

「奇跡だよな、これこそ」

 沈黙の10年を打ち破ったのは、とてつもないヤマメだった。

 

【共有するということ】


 鼻の落ちた38cmの雄ヤマメが、伊藤のネットに収まっている。

 獣じみた、いかつい顔に見入る。頬の筋肉がぱんと盛り上がり、下アゴも太い。伊藤に聞くと、これは魚食性の強さを表していると言う。尾ビレの付け根も幅があって太い。この部分のフォルムにも伊藤によれば野生か放流魚かの素性を知る鍵があるのだが、その辺りのさらにくわしい話はまた別の記事で改めて取り上げたいと思う。


 鼻先から背中へと続く流線形が美しく、惚れ惚れする体高のボディには、青いパーマークが驚くほど鮮明に浮かんでいる。しかも腹部全体を細かいパーマークが覆うマダラだ。きめの細かいウロコは質感が綺麗で、ベージュの肌の側線上にフワッと広がる淡いピンクが艶かしい。ヒレはみなピンピンに角張っていて、全てのバランスも見事。

 なんという迫力、なんという美しさだろうか。

 完全無欠の完璧な魚体である。写真はシンプルに、正直に撮ればいい。何かを強調する必要もなく、ただただリアルに写す。魚体のシルエットが歪まないよう底石を整え、せっかくのパーマークと色彩が飛んだり陰ったりしないように、またウロコのきめの美しさがきちんと伝わるようにヤマメを横たえたら、そのボディの面に対して出来る限り垂直にレンズを構える。
真正面からのアングル。かっこいい魚ほどそのあるがままの姿を写す必要がある。

 もちろんサイズに関しても数字を書く以上は何かしら対象物が必要となるけれど、内径がぴったり30cmのノースバックがいつも写真の中ではモノサシの役割を担ってくれている。

 ちょっとばかり格好つけて言うと、それはその魚の偽らざる個性を伝える責任ある一枚だ。素晴らしいヤマメだからこそなおさら、何より先にその写真を撮りたい。

 レンズ越しに次の構図を探していると、迫力満点の本ヤマメがファインダーの中でこちらを鋭い眼光でにらんでくる。いいヤマメほど何枚撮っても撮り足りない。

 伊藤はこう言った。

「今度いつ出会えるか分からないヤマメ。こんな時代だから、もう見られなくなるかもしれない。だからこそ、この感動を写真を通して、ヤマメを愛するみんなと少しでも共有したい。

 この本ヤマメは、完璧に文句ナシだよ」


 このヤマメの姿に、ヤマメ好きの釣り人はきっと何かを感じるだろう。大げさに書けば、夢や希望みたいなものだ。フィールドにはまだこんな凄い野生が潜んでいたんだぞと。

 伊藤秀輝はそんな奇跡を探して、川を歩いている。

TACKLE DATA

ROD Expert Custom EXC510ULX/ITO.CRAFT
REEL Cardinal 3/ABU
TUNE UP Mountain Custom CX/ITO.CRAFT
LINE G-soul X8 Upgrade PE 0.6/YGK
LURE Bowie 50S/ITO.CRAFT
LANDING NET North Buck/ITO.CRAFT

ANGLER


伊藤 秀輝 Hideki Ito


イトウクラフト代表

1959年岩手県生まれ、岩手県在住。「ルアーフリーク」「トラウティスト」などのトラウト雑誌を通じてルアーフィッシングの可能性を提案してきたルアーアングラー。サクラマスや本流のスーパーヤマメを狙う釣りも好むが、自身の釣りの核をなしているのは山岳渓流のヤマメ釣りで、野性の美しさを凝縮した在来の渓流魚と、それを育んだ東北の厳しい自然に魅せられている。魚だけでなく、山菜やキノコ、高山植物など山の事情全般に詳しい。