FROM FIELD
吉川 勝利
FIELDISM
Published on 2011/09/20
普通の生活
2010年9月、福島県
アングラー・写真=吉川 勝利
文=丹 律章
2010年は9月になっても夏が居座り、いつまでも暑い日々が続いた。吉川勝利と杉沢栄治さんは、8月から9月にかけて、何度か連れ立ってヤマメ釣りに出かけた。
「どうだよエージ君」
40センチをはるかに越えるヤマメを釣り上げ、吉川勝利の声が谷に響く。
「凄いですねえ」
6歳年下の釣り仲間である杉沢栄治君は、素直に釣果をほめた。
またあるときは。
「やるじゃねえの、エージ君。釣り、上達したんじゃね?」
杉沢さんが釣った35~36センチのヤマメを見て、吉川がいう。
「オレがこないだ釣ったやつよりは、ふたまわり小さいけどな」
「僕にとっては、十分にでかいですよ」
「でも、もっとでかいの釣りたくねえか?」
「そりゃ、釣りたいですけど」
「じゃあ、行くか? とっておきの川に」
「行きます行きます」
その場にいたわけじゃないから、そんな会話が交わされたものかどうかは分からない。でも、概ね、そんな調子で彼らは大ヤマメを釣ったのだろう。2010年秋。わずか1年前のことだ。
しかし、その川は今は遠い。今でもそこにあるのだけれど、心の中では遥か彼方に遠ざかってしまった。
杉沢さんは、南相馬市でバーテンダーをしている。15年ほど前、その頃少しずつ釣り雑誌に出始めて、顔が知られるようになっていた吉川を地元の飲食店で見かけ、話しかけたことから親しくなり、それ以来一緒に釣りに行ったり、杉沢さんのお店を吉川が訪ねたりという関係が続いている。
杉沢さんと吉川の関係については、2003年春に発売された「トラウティスト9号」の「2000字のフィールド」というコーナーに掲載されている杉沢さんの原稿「理不尽な王様」を読めばさらに詳しく分かる。今、手元にある人は、すぐに取り出して読んで欲しい。何を隠そう、この文章の中で「すじこ、ねーのか?」と言った理不尽な王様ことKさんが、吉川なのである(KはKatutoshiの頭文字。そしてついでに言えば、Kさんと川原に止めた車の中で酒を飲んで酔っ払い、Kさんの隣で酩酊していた釣り友達というのは僕、これを書いているライターの丹です)。
そんな彼らが頻繁に通っていたホームリバーは、福島県の浜通りにあった。つまりそのほとんどは、福島第一原発から30キロ圏内にある。立ち入り禁止区域内の川も多い。立ち入ることが可能なエリアでも、今、気持ちよく釣りができる川ではない。
僕らは、テレビが映ること、電気がつくこと、水道から水が出ること、ガスが通っていることなどを当たり前のこととして生きている。自分を取り巻く環境が、明日無くなることなど、想像できる人は少ないはずだ。
たとえば高瀬川。吉川も良く通い、関東の釣り人にも名の知れた大ヤマメの川であり、アユの名川でもあった。
シーズンになれば、吉川が毎朝のように様子を見て回った川のひとつだ。水の量、水色、釣り人の数、竿を出す日もあれば出さない日もあった。それが、吉川にとっての「普通の生活」だったのだ。しかし、その高瀬川の河口は福島第一原発から3キロちょっとしか離れていない。大ヤマメが釣れた中流部も6キロ圏内。「理不尽な王様」の翌日に釣りをしたのも高瀬川であり、あの日に車を止めて酒を飲んだ駐車スペースも、5キロくらいの距離だ。
高瀬川で釣りをすることは、今後しばらくの間不可能だろう。いつまで? その予測は専門家でも難しい。1年なのか5年なのか、10年なのか30年なのか。吉川や、杉沢さんが生きているうちに、行けるような状態になるかどうかすら不透明だ。
先週あなたが釣りに行った川が、来週そのままの姿である保証はない。
山菜やきのこをとる山も同じ。泳ぎに行く海。友人と遊び歩く町や、友人そのものですら例外ではない。3.11は、それを僕らに強烈な形で示した。
「でも、なくなってしまったものはしょうがないから。前に戻れるものじゃないし」
吉川は、自分のホームリバーが失われてしまったことを正面から受け止めつつ、釣りを続けながら次のホームリバーを探している。釣りとともに生きていた彼にとって、これからも釣りとともに生きることは必然だ。たとえ、そのかたわらに、かつてのホームリバーがなかったとしても、釣りができるだけ幸せだと吉川は言う。
僕らにできることは、前を向くことだ。
ならば、僕らルアーマンにできることは、ヤマメを釣ることだろう。
TACKLE DATA
ROD | Expert Custom EXC560ULX/ITO.CRAFT |
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REEL | Cardinal 3/ABU |
LINE | Super Trout Advance Sight Edition 5Lb/VARIVAS |
LURE | Yamai 50S Type-Ⅱ proto /ITO.CRAFT |
Emishi 50S 1st Type-Ⅱ/ITO.CRAFT | |
LANDING NET | North Buck/ITO.CRAFT |
ANGLER
1965年福島県生まれ、福島県在住。生まれ育った福島県浜通りの河川を舞台に、数々の大ヤマメを釣り上げてきたが、東日本大震災および原発問題によりホームリバーを失い、現在は中通りに居住する。サクラマスの経験も長く、黎明期の赤川中流域を開拓した釣り人のひとりである。