FROM FIELD
丹 律章
FIELDISM
Published on 2009/07/08
イトウガイドサービス
2009春
2009年5月27日、岩手と秋田の川
写真=丹律章、伊藤秀輝
文=丹律章
4歳になる娘が、おばあちゃんに会いたいといった。
仕事は全く無いわけではなかった。しかし、スケジュール帳にまばらに点在する仕事を、前後の日にちにぎゅうぎゅうに押し込めば、数日間の空白を作り出すことは可能だった。
その辺が自営業のいいところである。
もちろん、娘の顔をジジババに見せるためだけに、前後の過密スケジュールを作り出すわけではない。それを口実にジジババに娘を預け、僕は渓流釣りに行きたかったのである。その意味では、おあつらえ向きな娘の発言だったともいえる。偉いぞ。
僕の実家は盛岡にある。盛岡は雫石町の隣だ。雫石町には伊藤さんがいる。この非の打ち所の無い三段論法によって、僕の釣りは決定した。
早速、イトウガイドサービスに電話をする。
「もしもし、イトウガイドサービスですか?」
電話の向こうからは、「そうだ」「その日ならガイドはあいている」「料金は高い」「魚はいるが、釣れる保証はない」というような意味の南部弁が聞こえた。
僕は、同じ南部弁でガイドサービスの予約をして、電話を切った。既に尺ヤマメを釣ったような気分になっていた。
(このウェブサイトを見ていただいている方ならお分かりのこととは思いますが、このガイドサービスに関する文章はフィクションです。ところどころ事実もありますし、使用写真は確かに実在したものであり合成やCGによるものではありませんが、物語については100%本当ではありません。もちろん、イトウガイドサービスなる組織は存在しません)
朝早く起きるのが苦手な僕の要望で、集合は6時だった。
「お客様、本日はイトウガイドサービスのスペシャルSコースを予約いただきまして、ありがとうございます。本日は常連のお客様への特別サービスとして、スペシャルカーでの釣り場への送迎を行います」
そういって伊藤さんが指差した先には、釣り場への往復に最適なスペシャルカーが鎮座していた。
レンジローバーのプラットフォームに、ランボルギーニの12気筒エンジンを載せ、ダイムラーの天然皮革シートを装着した特別仕様で、もちろん世界に1台しかない、イトウガイドサービス特注であるらしい。
僕は、皮のシートに深く身を沈め、ボーズのスピーカーから流れるシューベルトの「弦楽四重奏」を聴きながら、釣り場へ向かった。苦しゅうない。
イトウガイドサービスはフィールドに詳しく、連れて行ってくれる川には渓流魚があふれているが、その分料金が高い。1日のガイド料金はスタンダードコースで10万円。今回僕がオーダーした、スペシャルSコースは3万円増である。もちろん、スペシャルコースを選んだ方が、人にはさらに知られていない、うぶなヤマメがうようよいる川へ案内してくれるのだ。
しかし掛かるのはその料金ばかりではない。その時々で、オプションが設定されていて、そのオプションをその都度追加していくと、最後にはとんでもない額になるから気をつけたほうがいい。本当に気をつけた方がいい。支払えなかった場合の取り立ては厳しいらしい。
しかし、今回のスペシャルカーでの送迎に限っては、全く無料のサービスだというから得した気分である。後が怖いが。
イトウガイドサービスのミュージックアドバイザーが選曲したというこのCDは、シューベルトの「弦楽四重奏」で静かに始まり、徐々に気持ちが高揚するような曲の構成になっていた。そして、エドワード・エルガーの「威風堂々」が終わったとき、丁度川についた。聞けば、川までの時間に応じて選曲されているらしい。最後が「威風堂々」というのは、なかなかのセンスだ。イングランドサッカーの応援ソングでもあるこの曲は、確かにやるぞ、という気分にさせてくれる。
「この川では、蝦夷のファーストモデルが最適でございます」
タックルの準備をしていると、伊藤さんが言う。
そうですか。大丈夫。僕は、初期型のストックを持ってきてますから。初期型蝦夷マニアなんです、実は。
「初期型とファーストは、型は同じでありますが、細部が違っておりまして、はっきり申し上げて別のミノーといっても過言ではありません」
げっ。マジっすか。
確かに、初期型の復刻とも言えるファーストが発売になったのは知っていた。しかし、僕が住む海べりの町では、ファーストが手に入らないのだ。ルアーマンは全てソルト野郎で、シーバス用だのヒラメ用だの青物用ジグだのばかりが釣具店の棚を占めている。渓流用ミノーなんてほとんどないのだ。だから、僕は手持ちの初期型をワレットに詰めて持ってきたのだが、これでは役不足らしい。なんてこった。
「もちろん、初期型で釣れないことはありませんが、ファーストの方がベターかと。お望みなら、現場売りもございますが」
伊藤さんが言う。これが怖いのだ。
「通常現場売りは定価の2倍と決まっておりますが、お客様は当ガイドサービスの常連でございますので、1.7倍でよろしゅうございます」
丁寧な口調で言っているが、要は定価よりも高いけど買うのか? と言っているのである。買わないのは勝手だが、それで釣れなくてもオレ知らんよ、と言っているのである。さあどうする、と言っているのである。
僕は5個購入した。車の横だから定価の1.7倍ですんでいるが、これが川に下りた後だと、3倍以上に跳ね上がることを、僕は経験から知っている。
だが、午前中に回った渓流の釣果はイマイチだった。
「釣れませんね。魚いないのかな」と僕が言うと、伊藤さんはにやっと笑って自分のロッドを振った。2投目でヤマメが釣れた。僕の後から。簡単に。
「いますよ」
はいはい。どうせ、僕の腕が悪いんです。
さらに釣り上る。ヤマメがぽつぽつ出始めた。しかし、型は20センチくらいで、皆サイズが揃っている。体色も似ている。小学生の入学式みたいだ。同じ黄色い帽子を被って、身体より大きいランドセル背負って。同じ時期に放流したヤマメなのだろうか。
太陽が高く上がりきって、腕時計を見ると12時を廻っていた。腹が減ったぞ。
「昼食は、手打ち蕎麦でよろしいでしょうか」と伊藤さんが言う。
いい、いい。全然文句はない。僕は蕎麦大好きだ。こういう暑い日は、つるっと蕎麦を食べるのは理想に近い。ついでにビールがあればさらに
文句はない。
「それではしばらくお待ちください。うちが特別に契約している近くの蕎麦打ち職人に、蕎麦を打たせますので」
そういって、伊藤さんは林道に僕を残し、車で立ち去った。しばらくの間、川を見ながら麦茶を飲んでいると、伊藤さんが戻ってきた。
手には、蕎麦らしき麺が入ったプラスチックの丼を持っていた。
「それは……」
「打ちたての蕎麦でございます。ゆでたてを奥羽山脈の湧き水でキリリと冷やしてありますので、冷たいままお召し上がりください」
蕎麦は打ちたてというより、コンビニの買いたてのような味がした。
奥羽山脈の水で冷やしたというより、コンビニの冷蔵庫で冷やしたもののような気がした。
伊藤さんのシャツの胸ポケットから、コンビニのレシートのようなものが見えていたが、それは見間違えだったかもしれない。
だが、蕎麦はまずくなかった。
山の中で食べれば、コンビニの蕎麦だって美味いはずだ。もちろん、打ちたてのざる蕎麦の方が美味いに決まっているけれど。
午後からは、別の谷に移動した。
狭い林道が、山奥に延びている。ランボルギーニのエンジンが、ブロロロという低いエンジン音を谷にこだまさせながら、車体を上へ上へとぐいぐい引き上げていく。
林道がちょっと広くなったところに、強引にノーズを突っ込み、右側の車体で藪をなぎ倒すようにして、車を停止させる。おいおい、強引過ぎませんか?
伊藤さんがキーをひねると、ランボルギーニの12気筒エンジンの音に代わって、鳥の合唱が聞こえてきた。
「昨夜から藪の中にスタンバイさせておきました、鳥たちの合唱です。お気に召しましたでしょうか」
ホントかよ。ホントなら凄いけど。
ラインの先に、ファーストを結びつけて釣りを再開する。
「この区間には、尺近いヤマメが何匹も生息しておりますが、1週間前には私自身が、3匹の隠れ場所を特定しております。石の裏から出てきたのを見つけた時点でルアーのアクションを止めており、ルアーには触らせておりませんのでご安心ください」
ほう。それはいいですねえ。
「ご希望ならば、オプションで、そのヤマメが隠れているピンポイント情報もご提供させていただいております」
なるほど。で、いくらですか?
「ひとポイントにつき、5000円となっております」
それは楽だ。しかし、大名釣りとはいえ、何から何まで教えてもらうのはしゃくだ。それにそこまで教えてもらうのは、釣り自体の楽しみを半減させることでもある。魚の居場所を探すことも、魚釣りというクワイエットスポーツの一部分であるはずなのだ。だから僕は、そのサービスを断り、自分でヤマメを捜しながら釣りをすることにした。釣り師としてのプライドが、それを選択したのである。
1時間過ぎて、まだ僕はノーフィッシュだった。チビヤマメのチェイスが、何回かあっただけだ。なかなか難しいですね。
「はい。最近はルアーを追いかける距離が短くなっております。なかなかルアーへ食いつかせるのは難しゅうございます。ちなみに、現時点で、私が確認しているグッドサイズのヤマメポイントは、2箇所通り過ぎました」
げっ。ヤバイ。残りは1箇所ですか?
「それ以外にもいるかもしれませんが、私が確認しているのは、この上流にあと1箇所でございます」
僕は、5000円のピンポイントサービスをすぐさま申し込んだ。釣り師のプライド? プライドなんてオレ知らん。僕は、プライドを丸めて川に捨てた。いやいや、川にゴミを捨ててはいけません。
伊藤さんが教えてくれたそのポイントは、長さ1mほどの短いたまりだったが、大きな石に囲まれていて意外に水深があった。確かに大きなヤマメがいてもおかしくない。
ファーストを上流の落ち込み付近にキャストし、右に左にアクションさせながら引いてくる。
黒い影がミノーを追って、ロッドティップまであと1mというところで食いついた。背中が茶色くて、黄色がかっていて、赤みもある山のヤマメだった。
記念撮影を済ませると、日がだいぶ傾いていた。僕らは車に戻り、帰路についた。
「帰りの音楽はいかがいたしましょう。通常なら、クラシック音楽か、ジャズやボサノバから選んでいただきますが、オプションで特別コースも用意しております」
特別コースはどんな音楽ですか?
「今週のベストヒットですが、ただのベストヒットではございません」
へえ、それは期待できますねえ。で?
「お客様の隣で、私が歌います。お安くしときますよ。1曲3000円でどうです?」
僕はその特別コースを丁重に断り、助手席の皮のシートに深く沈みこんで、ボサノバを聞きながら目を閉じた。
TACKLE DATA
ROD | Expert Custom EXC510PUL/ITO.CRAFT |
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REEL | Cardinal 3/ABU |
LINE | Super Trout Advance VEP 5Lb/VARIVAS |
LURE | Emishi 50S 1st, 初期型蝦夷50S/ITO.CRAFT |
ANGLER
丹 律章 Nobuaki Tan
ライター
1966年岩手県生まれ、神奈川県在住。フリーランスライター。「ルアーフリーク」「トラウティスト」の編集を経て、1999年フリーに。トラウトやソルトのルアー、フライ雑誌の記事を多く手掛ける。伊藤秀輝とは「ルアーフリーク」の編集時代に知り合い、25年以上の付き合いになる。