イトウクラフト

TO KNOW FROM FIELD

FROM FIELD

FIELDISM
Published on 2013/12/13

プレッシャーをねじ伏せる

2012年8月、岩手県
アングラー=伊藤 秀輝
文と写真=佐藤 英喜

 例えば今から10年近く前、伊藤秀輝の渓流釣りを見て衝撃的だったことのひとつに、「川を見切る早さ」がある。水色や水量、何よりチェイスした魚の様子から、伊藤は、その日その川のパターンをまたたく間に読み解いてしまう。そして、今日はこれ以上釣り上がっても狙っている魚は出ないと判断したら、まったく躊躇せず別の川へと移動する。そうやって一日の内にいくつもの川を渡り歩き、いい魚を効率良く手にしていった。言葉で言うのは誰にでもできるけれど、僕の知る限り、そんな釣りを実際にしてみせる釣り人は彼の他にはいなかった。


 あの頃と比べ、現在のフィールドの状況は大きく変わった。


 釣り人によるプレッシャーが果てしなく強まり、その結果としてルアーに対する魚の反応が変わった。いるはずの魚がまるっきり姿を現わさなかったり、チェイスしてもどこかヨソヨソしい追い方だったり、一瞬だけ現れてすぐに隠れ家へ逃げ込んだり、そんなケースばかりが目立つようになった。もちろん10年前も、魚がプレッシャーを感じている状況下ではあったが、今はその度合いが明らかに違う。釣り人の存在やルアーに対し魚達はより激しく、そして慢性的にスレている。


 その魚の変化にともない、伊藤の意識も少なからず変わった部分があると言う。


「今はスレていない魚を探すことよりも、ひとつのポイントをきっちり攻めきる意識のほうが強いかな。例えその時がダメでも次回の釣りの組み立てに生かせるキッカケを必ず持ち帰る。もちろん釣りはケースバイケースだし、深追いせず素早く見切るべき所もあるけどね」


 あからさまに目の前に先行者がいるような状況で釣りを続けることは稀にしても、魚がスレていることは承知の上で釣り上がる。その人為的プレッシャーをねじ伏せるための、釣りの組み立てに伊藤は深く考えを巡らせている。もう今はどこに行っても釣り人のいない川なんてないのだ。だから今ここでベストの釣りをすることに専念する。そういったスタンスが強く見て取れる。


 人為的プレッシャーと魚のスレの関係について、伊藤がこんな話をしていた。


 実際に釣り人の数自体が増えているのかどうかは分からないけれど、いいタイミングを狙い澄まして釣りに行く人が増えた。それに土日だけでなく平日に釣行する人も今は普通にいるわけで、地元の釣り人が毎日のように朝駆けしていたりもする。


「でも、それなのに、全体で釣れている魚の総数は増えてないと思うんだ。むしろ減ってるんじゃないかな。それぐらい、スレている魚を釣るのってやっぱり難しいんだよ。その時その時で本当にいろんなパターンがあって、その場の状況に合った釣りをできるかどうか。立ち位置であったり、ルアーの操作であったり、そこでミスしてさらにプレッシャーを与えることになると、魚にとってそのショックは水の条件が良いタイミングであるほど大きいし、余計に蓄積してしまうものなんだよ」


 タイミングを計ることは釣りにおいて確かに大切な要素である。しかし、いいタイミングでの一番乗りを目指すことより、もっと先に突き詰めるべき重要なことがあるのだ。


 さて、ここで紹介している写真の魚は、昨夏の雫石川水系で釣り上げた大イワナだ。


 雫石もご多分に漏れず、常に人為的プレッシャーとの戦いを強いられるシビアなフィールドである。


 夕刻の曇り空の下、ジンクリアの川を釣り上がっていくと、流れがガクンっと落ち込んだ白泡の脇の小さなタルミが伊藤は気になった。蝦夷50Sファースト・タイプⅡにヒラを打たせ、強烈なフラッシングの連続で誘いを掛ける。言葉にすれば単純かもしれないが、伊藤が繰り出す誘いのニュアンスは実に細やかで複雑なものだ。


 わずかな違和感にすかさずアワセを入れると、ドシンっ!と音が聞こえそうな、まるでサクラマスでもヒットしたかのような激しさで伊藤のロッドがバットから曲がった。その状態のまま獲物は白泡の底にへばり付き、時折、ぐわっ、ぐわっと頭を振りながら身をよじっている。でかいっ。


「んっ? マス?」。曲がったままのロッドを保持する伊藤の顔には余裕があった。真剣さのなかにも嬉しさが込み上げている。もちろんフッキングは完璧だ。


 ものすごいパワーで抵抗する魚を冷静にいなす。絶妙にテンションをコントロールしながらジワジワと魚の体力を消耗させ、短い瀬をひとつ下らせたところで勝負あり。


「こういう小さなスポットにも、でかい魚が入ってるんだよなぁ」


 浅瀬に横たえた大イワナを見ながら伊藤が息をつく。紫色の肌が妖しく光り、メジャーを当てると51センチもあった。

 こんな見事なイワナに、雫石でまた会える日が来るだろうか。それが今の僕らの思いだ。


 2013年の雫石川水系は、8月9日に発生したあの大雨洪水被害とその後の大型台風により、甚大なダメージを受けた。川はすっかり様相を変え、とても釣りどころではない状況だった。今でもその爪跡は山や川のそこかしこに大きく残されている。


「ヤマメもイワナも大幅に個体数は減ってしまったと思うけど、いつか復活してくれるのを待つしかない。以前にもこういう危機はあったはずで、今回の災害も何とか乗り越えて欲しい。雫石の誇る魚達にまた会える日を、心から楽しみにしてる」

TACKLE DATA

ROD Expert Custom EXC510ULX/ITO.CRAFT
REEL Cardinal 3/ABU
TUNE UP Mountain Custom CX prototype/ITO.CRAFT
LINE Super Trout Advance sight edition 5Lb/VARIVAS
LURE Emishi50S 1st Type-Ⅱ/ITO.CRAFT
LANDING NET North Buck/ITO.CRAFT

ANGLER


伊藤 秀輝 Hideki Ito


1959年岩手県生まれ、岩手県在住。「ルアーフリーク」「トラウティスト」などのトラウト雑誌を通じてルアーフィッシングの可能性を提案してきたルアーアングラー。サクラマスや本流のスーパーヤマメを狙う釣りも好むが、自身の釣りの核をなしているのは山岳渓流のヤマメ釣りで、野性の美しさを凝縮した在来の渓流魚と、それを育んだ東北の厳しい自然に魅せられている。魚だけでなく、山菜やキノコ、高山植物など山の事情全般に詳しい。
2023年12月6日、逝去。享年65歳。