FROM FIELD
伊藤 秀輝
FIELDISM
Published on 2013/07/12
夏色の本ヤマメ
2012年7月、岩手県
アングラー=伊藤 秀輝
文と写真=佐藤 英喜
伊藤秀輝が「本ヤマメ」と呼ぶヤマメの天然種は、やはり独特の美しさを持っている。時にハッと息を飲むほどの個性を見せてくれる。何がこのあでやかな色彩を生み、何がこの滑らかな肌を形成しているのか、そしてこの奇妙な形をしたパーマークは何を意味しているのか。
彼らの個性が生まれるすべての因果関係を紐解くことはとても難しいが、その大きな要素のひとつが、川の環境だ。エサ、水量、水温、水質、底石の色、あるいは周囲の森の様子など川はそれぞれに異なる表情を持っている。その環境の違いが、そこで昔から世代交代を繰り返してきた野生の個体群に独自の個性を与えたのだと伊藤は語る。つまり、川の歴史が本ヤマメの個性となって現れているのだ。
例年であれば伊藤の本ヤマメ釣行は、それぞれの川の本ヤマメたちが強く個性を現す秋のシーズン終盤に集中するわけだが、ここ数年は岩手県内水面水産技術センターと連携を図りながらより緻密な調査を進めていることもあり、少し早い時期から動き始めている。ここで紹介している本ヤマメも、昨年7月に伊藤が釣り上げた個体である。少しもギンケした様子のない、もちろんパーマークもびっしりと鮮明に浮かばせる魚で、サイズはこの時期にして31センチもあり、エサの供給という面で厳しい環境に生きる本ヤマメとしては非常に貴重な個体と言えるだろう。
その日は雲が空を覆い、朝は長袖のシャツが必要だったが、2本目の川へ移動する頃にはすっかり気温が上がってそのシャツも不要になった。夏の到来を感じさせる暑さにまだ少し爽やかな空気が入り混じる、そんな気候だった。伊藤の背中を追って草木に覆われた斜面をくだっていく途中、ふと目に入ったブナの樹皮にクマの爪跡が生々しく残されていた。
「クマが人間の生活圏にどんどん接近して、クマと人間のあいだに保たれているはずの距離が狂ってる、というようなことが言われて久しいけど、こういう本来いるべき場所でクマの存在を確認すると、怖いというよりはここにまだそれだけの自然が残っていることに、やっぱり嬉しくなる」
日本全国で自然という自然が失われつつある今、伊藤は本ヤマメの美しさだけでなく、いわば彼らの生きる環境そのものに心から惹かれているのだ。
川に降り立つと、森にすっぽり囲まれている谷の底は予想以上に涼しい。伊藤がいつもの速いリズムでルアーを投げ込んでいく。聞けばもともと魚の数自体は少ない川らしく、また前回入った釣り人のスレも若干残っている様子で、後ろから見ていても反応の薄さがわかる。
30分ほど釣り上がったところに、深緑の淵が現れた。
上流の絞りから続く流芯は対岸の岩盤際を通っており、川幅はさほどでもないが底が掘れて深さがある。一瞬の出来事だった。その流芯の深みでボウイ50Sに細かくヒラを打たせると、ビュンッ!と尺サイズのヤマメが浮き出てミノーを追った。フッキングには至っていない。淵のほぼ中央に一抱えではきかない大きな岩がどんっと沈んでおり、その岩の向こう側にヤマメは着いていた。ルアーをチェイスするスピードが速く、ピックアップ寸前のところで本能的に危険を感じたのか一目散に元いた隠れ家へ逃げ込んだ。伊藤は、ぴくりとも動かず岩陰を見つめている。
着き場を離れる怯えとルアーに対する好奇心、そのあいだに揺れている魚を静かに同じ立ち位置から伊藤が誘い続ける。手首だけを動かしルアーを投げ、さまざまな意図をトゥイッチに込めていく。今そこにいるヤマメはどんなアクションにより強く反応するのか、ミノーの背中を倒す角度やリズムなどそれぞれの要素を微妙に変化させ、またそれぞれを複雑に融合させながら、魚の気分を感じ取るように誘いを展開する。伊藤の行なっているトゥイッチとはそこまで繊細なものであり、その緻密な操作を意図したままに水中に表現してくれるのがボウイ50Sの圧倒的レスポンス性能である。
しばらく粘ってキャストを重ねると、さっきとは違うゆっくりとした動きで、ふわっと反応する白い影が見えた。まだ食わない。まだ何かを警戒しているが、さらにトゥイッチのバリエーションでアクションをシフトチェンジする余裕が伊藤にはある。そして数投後、ヤマメは岩陰から再び姿を現して今度はしっかりとミノーを追い、遂にテールフックをくわえ込んだ。ルアーへの興味が、警戒心を上回った。
「すごく綺麗なヤマメだよ」
ネットにすくった魚をのぞき込んで、伊藤が顔をほころばせる。
「今まで釣ってきた本ヤマメもたくさん心に残ってるけど、この魚もきっと忘れられない」
体高のある雄の尺ヤマメだった。秋に釣れる個体もグロテスクないかつさや鮮烈な色彩がもちろん素晴らしいけれど、今回見た夏色の本ヤマメも脳裏に焼きつく強いインパクトがあった。まるでシルクのようなつややかなボディに、上品でしとやかな色合いが浮かぶ。側線上のオレンジが美しく映え、パーマークも鮮やか。これが山に生きる野生のヤマメの姿だ。釣り人の技術とそれを支える道具、そして何より、これだけのヤマメを育んでくれた岩手の山と川に感謝。
【付記】
このヤマメの美しさは僕もたぶん一生忘れられません。サイズもいいですけど実際にはメジャーが示す数字とは関係なく、ぱっと魚を見ただけで脳内が刺激され、胸に響きます。本当にいい魚というのはそういうものだと思うし、伊藤が見せてくれる本ヤマメ達がまさにそう。また今シーズンも、こんなヤマメに出会えることを心から願っています。
TACKLE DATA
ROD | Expert Custom EXC510ULX/ITO.CRAFT |
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REEL | Cardinal 3/ABU |
TUNE UP | Mountain Custom CX prototype/ITO.CRAFT |
LINE | Super Trout Advance VEP 5Lb/VARIVAS |
LURE | Bowie50S prototype/ITO.CRAFT |
LANDING NET | North Buck/ITO.CRAFT |
ANGLER
伊藤 秀輝 Hideki Ito
1959年岩手県生まれ、岩手県在住。「ルアーフリーク」「トラウティスト」などのトラウト雑誌を通じてルアーフィッシングの可能性を提案してきたルアーアングラー。サクラマスや本流のスーパーヤマメを狙う釣りも好むが、自身の釣りの核をなしているのは山岳渓流のヤマメ釣りで、野性の美しさを凝縮した在来の渓流魚と、それを育んだ東北の厳しい自然に魅せられている。魚だけでなく、山菜やキノコ、高山植物など山の事情全般に詳しい。
2023年12月6日、逝去。享年65歳。