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FROM FIELD TOP>■釣行記 III (#11~15)
PROFILE
いとうひでき。ITO.CRAFTがリリースするロッドやルアーは、アングラーとしての彼がフィードバックし、クラフトマンとしての彼がデザインして生まれる。サクラマスやギンケしたスーパーヤマメを狙う本流の釣りも大好きだが、根っこにあるのはやはり山岳渓流のヤマメ釣りだ。魚だけでなく、高山植物など山のこと全般に詳しい。野性の美しさを凝縮した在来種のトラウトと、それを育む東北の厳しい自然に魅せられている。1959年生まれ。

「二月の子吉川で」 伊藤秀輝 #15
2010年2月24日、秋田県
文=佐藤英喜

TACKLE DATA
rod:Expert Custom EXC780MX/ITO.CRAFT
reel:Certate 3000/DAIWA
line:Super Trout Advance Big Trout 12Lb/VARIVAS
lure:Yamai 95 MD[YMP]/ITO.CRAFT



 2月のある日、突然古い友人が伊藤の仕事場を訪ねてきた。とりあえずお互いの近況を報告し終えると話は自然と釣り関係へ。
 付き合いが長いだけに、いったん思い出話に花が咲き始めると止まらなくなる。連れ立っていろんな釣り場へ出掛けてきたが、秋田の阿仁川と子吉川が特に二人の心に残っている。
「懐かしいなー」
「だなー」
「最近ぜんぜん行ってないけど、今どうなってんのかな」
「…ん、じゃ、久し振りに行ってみるか?」
 秋田の川では2月一杯、サクラマスを狙うことができるが、時期を考えれば海に近い子吉川の方が阿仁よりも当然サクラの遡上は期待できる。とまあ、こんな感じで、2010年の伊藤の釣りは、子吉川のサクラマスから始まることになった。
 ちなみに伊藤が2月の秋田へ釣行するのは、じつに7年振りのこと。2003年の2月、米代川本流で2本のサクラマスを釣ったのが最後だ。(その時の模様はトラウティストVol.11に掲載された)
 それから、秋田の冬のサクラマス釣りはかなりメジャーなものになった。
 そして釣果の面でも、年によって変動はあるものの以前とは比べものにならないほどの実績が出ている。このことについて、伊藤はどう感じているのだろう。
「当時も、やってる人がいないわけじゃなかったけど、今のような賑わいははなかったよね。魚も今ほどは釣れなかった。まあ、その年の遡上数にも左右されるし、あの頃より人が増えた分だけ釣れる魚の数も増えた、というのもある。でも、やっぱりそれだけじゃないと思う。自分が足を運んでた頃と何よりも違うのは、この気候の暖かさ。だって、2月に雪シロが出るなんて昔では考えられないもの。そうした温暖化の影響もあって、徐々にマスの生態が変わってきてる感じがするね。少なくとも秋田の河川に関して、年々マスの遡上時期が早まってると思う」

 2月24日、昔と同じように伊藤がハンドルを握り、子吉川へ向かう。「昔に戻ったみたいだなー」と助手席の旧友は釣りをする前からとても嬉しそうだ。
 しかしこの日は、いささかタイミングが悪かった。
 この2日前に、秋田で雨が降ったのだ。雫石では降らなかったけれど、秋田のサクラ河川には雨による濁りと、冷たい雪解け水が流れ込んだのである。
「すでに川に入ってるマスは、これでトーンダウンかな。この雪解け水で新しい群れが入ってくればいいけど、盛期のランとは違うからね。可能性は低いと思う。ま、やれるだけのことはやるよ」
 釣り場にはゆっくりと着いた。春を感じさせる柔らかい日差しが降り注いでいた。二人が子吉川へ足を運んだのは6年振りのことで、しかも2月に訪れるのは初めてのこと。記憶を頼りに、気になる場所を5、6箇所見て回り、そのうちのもっとも期待できそうなポイントにまずは入った。
 使うロッドはエキスパートカスタムEXC780MX。高い操作性と取り回しの良さが武器で、子吉川にはぴったりのモデルだ。
 ルアーは山夷95MDを選んだ。
「流れ的にはショートリップもありだけど、活性の低い魚を考えれば中層までは潜らせたい。ロッドがナナハチだから、MDでもがんがんトゥイッチ掛けて、ヒラを打たせられるし」
 活性が低いと予想されるときは、まずはタナを合わせることが絶対条件。そして、いつも通り派手にミノーをアクションさせる。川の流れに合わせ、ラインスラックを調整するリーリングと激しいロッドワークとで、ミディアムディープを躍らせていく。
「派手といってもいろんなパターンがあるけど、効果的なハイアピールってことだよね。派手に誘うことで、初めて反応する魚は絶対にいるから。これが自分の釣りの核だし、この釣りをしてなかったら今までの釣果はないよ。半減以下だと思う」
 ガイドにラインが絡んだり、スプールのラインがぐしゃぐしゃに乱れてバックラッシュしたり、はたまたミノーのフックがラインを拾ったり…、普通ならライントラブル頻発だなあ、と思うほどリーリングとロッドワークが複雑に絡み合う。しかしこれもいつものことだが、ライントラブルなど一切なく、伊藤はどうってことない顔で、ときに隣で竿を振る旧友へ話しかけながらルアーを操っている。
 もう体に染みついているのだ。
 中層で、ギラッギラッギラッと激しくヒラを打つミディアムディープに、ズドンッ!と重さが乗ったのはそのポイントに入っておよそ30投目のことだった。
「おっ、来たな!」
 旧友が興奮した様子でザバザバと近づいてきた。銀色に光る極太の魚が、ゴッゴッゴッ…と重々しく首を振る。サクラマスは、ミノーのテールフックをくわえていた。
 綺麗な魚体を見たいから、ウロコを傷付けないようにやり取りした。サクラマスのローリングでラインを巻き付けないよう、ロッドを操作する。幅広の魚体が、すっとランディングネットに滑り込んだ。
「これはいいマスだなー」
 59cmの美しいフレッシュランが伊藤の手に収まった。
 6年振りの握手を、がっちりとかわした。
 期待を胸に日没まで竿を振ったが、その後ふたたびサクラマスがルアーに食いつくことはなかった。やはり、2日前の雨の影響だろうか。
 残念ながら旧友は獲物を手にすることができなかったが、また暖かくなった頃にでも、一緒に竿を振ることを固く約束し川を上がった。
 二人は満面の笑みで釣りを終えたのだった。












「予感」 伊藤秀輝 #14
2008年7月上旬、岩手県
写真=伊藤秀輝
文=佐藤英喜

TACKLE DATA
rod:Expert Custom EXC510ULX/ITO.CRAFT
reel:Cardinal 3/ABU
line:Super Trout Advance 5Lb/VARIVAS
lure:BALSA EMISHI50S[YM] EMISHI50S type-Ⅱ[ITS]/ITO.CRAFT



 川に降りたときから、いい釣りができそうな予感はあった。川の下流部が多くのアユ釣り師に占拠される初夏、伊藤は朝のヒンヤリとした渓谷を釣り上っていた。
 大抵の人がそうであるように、入渓点では決まって水色や水量といった川のコンディションと、そこに残されている釣り人の形跡、つまり釣り場に対するプレッシャーの掛かり具合をすばやく点検する伊藤だが、とりわけ彼の場合はその見極めの精度が高く、それがいつもの効率の良い釣りへと繋がっているのは間違いない。その彼の目利きによれば条件的に悪くないらしく、じっさい、一投目からまずまずのヤマメがミノーに反応したことからも、いい朝になりそうなムードがただよっていた。
「大物が出るときって、ちびヤマメもウグイも活性の高いことが多いと思う。そこで、ひとつのポイントで数を釣るという楽しみ方も当然あるだろうけど、自分的に避けたいのは、先に小さな魚を掛けることによってそこにいるはずのもっとデカい魚に警戒心を抱かせてしまうこと。だから、そのポイントにある一番の流れを真っ先に、もちろん一発でミスなく探る。活性の高いときは特にそれを意識するね」
 いつものことだが、彼が釣ろうとしているのはそのポイントにいる最も大きな個体なのだ。

 浅い瀬の流れが、対岸の切り立った岩盤にぶつかって恰好の懐ができていた。選んだルアーは5cmバルサ蝦夷。それを淵の先端、流れ込み部分に静かに着水させ、ハイピッチの激しいトゥイッチングでまだ光量の少ない深みのなかに煌めかせる。すると底の方から、ぶわっと大きな魚が浮いて、ミノーを追ってくるのが見えた。イワナだ。
 伊藤は、チェイスを始めた魚がイワナであると判断できたら、魚に見切られないアピール力を保ちつつ、「喰いやすさ」を優先させた釣りに切り替える。俊敏なヤマメならそこからさらに決め手となる誘いを繰り出すところで、トゥイッチもリトリーブ速度も緩めて誘う。始めから「釣れる」と踏んでいる伊藤は慌てることなく、40cmジャストのイワナをイメージ通りにフックアップさせた。
 ボディの紫と、胸ビレの濃いオレンジが目立つ美しいイワナだ。

 さらに釣り上っていくと、やはり上機嫌なヤマメ達がポイントごとにミノーを追ってくる。そして、ここにいないはずはない、と誰もが感じるだろう一等地の深場で、また大きな影が揺らめいた。
 そこには明らかに尺上の、いいヤマメが陣取っていたのだけれど、さすがに叩かれ続けて魚がスレているのか、追い幅が極端に短い。ミノーをレンジのキープ力に優れた蝦夷50SタイプⅡへと交換し、狙い定めたラインでしつこくヒラを打たせる。正確なキャスティングと流れるような速い手返しで伊藤が攻め続けると、比較的あっさり決着はついた。我慢できずに浮上した白い影がミノーのテールフックをくわえ、さっきの何倍もの光を反射させてギラリと翻った。
 パーマークくっきりの綺麗なヤマメがネットに収まった。サイズは33cm。野性味あふれる面構えのいい尺ヤマメだ。浅瀬に横たえ、弱らせないように手早く撮影を済ませる。
 ヤマメは元気に元いた深みへ姿を消した。川と魚、釣り師の腕と読みが精巧な歯車となって噛み合った最高に楽しい釣りが幕を閉じた。今年もきっと、こんな朝が唐突にやって来る。それは今度の休日かもしれないし、ひょっとしたら明日の朝かもしれない。













「原始の森、奥羽の本ヤマメ」 伊藤秀輝 #13
岩手県
写真と文=佐藤英喜

TACKLE DATA
rod:Expert Custom EXC510ULX/ITO.CRAFT
reel:Cardinal 3/ABU
line:Super Trout Advance 5Lb/VARIVAS
lure:EMISHI 50S[YTS]/ITO.CRAFT


1.
 岩手の山に秋の気配がやってくると、伊藤は本ヤマメを探しに出かけ始める。
 いまだかつて養殖ヤマメが放たれたことのない水域で、独自に世代交代を繰りかえしてきたヤマメの天然種を本ヤマメと呼び、長年伊藤は東北の山と川に、彼らを注意深く追ってきた。何かしらの理由で養殖魚との交雑を免れてきた本ヤマメの価値は、少なくともスケールで体長や重さを測るように単純に数値化できるものではないだろう。じっさい、伊藤が案内する川のヤマメは9寸、8寸といったサイズでも、その一尾一尾が何とも形容しがたい個性的な野生美を感じさせるのだ。

 そもそも、生息域を狭められ山の奥深くに生きる本ヤマメが、本流育ちのヤマメのように大型化するのは捕食できるエサの量からして非常に稀なケースと言える。しかし、それでは本ヤマメの釣りが全くサイズの望めない釣りかというと、それもまた違う。時には、さしてフトコロのない渓流で、パーマークをくっきりと浮かばせた尺超えの本ヤマメが飛び出すこともある。そしてさらに条件は限られるが、40cmを突破するような俄かには信じ難い大物も、これまでに本ヤマメの棲む川で何度か確認されている。
「40cmクラスとなると巡り合う確率は極端に低いんだけど、自分の経験的には、条件の揃った川であれば4年に一本とか、5年に一本とか、それぐらいのペースでは生まれてると思う。問題は、『飛び』がどれくらい無事に育つか。それに尽きると思う」
 飛びというのは、生まれながらにして大型化する素質を持った特別な個体を指し、飛びぬけて大きくなるから飛び、なのかどうかは分からないが、そうしたヤマメはどうしてもエサ喰いがよいために、大きく成長する前の段階で抜かれてしまうことが多いのである。

2.
 渓流シーズンも終盤を迎えていたある日、伊藤の案内で本ヤマメが棲む川のひとつに出かけた。もちろん手付かずの釣り場ではないけれど、林道が途切れてから川へ行き着くまでにだいぶ距離があることと、その谷へ下りるまでの森全体が「クマの巣」になっていることが影響してか、今はまだ漁協による放流がなくてもぎりぎりのところでバランスが保たれている川だ。そこは、過去に伊藤が40超えの大ヤマメを一度釣り上げている川でもあり、久し振りに様子を見に行ってみようということになった。

 入渓点から1時間ほど釣り上ったところで、それは起こった。岸際を走る流れの芯に、葉を茂らせた枝が被さっている。水面の波立ちと白泡がなければ底石が丸見えの水深だけれど、一時的にヤマメが身を潜めるフトコロとしては悪くない。十分に距離をとって、伊藤がオーバーハングの奥へミノーを飛ばす。サミングによって音もなく着水したミノーが流れの筋を捉え、激しくヒラを打ち始める。ぎらぎらと流下してくるミノーの動きを目で追う。白泡の切れ目に、ゆらっと影が動いた。
 一瞬ではあるが、ハッキリと見えた。背中の盛り上がった大きなヤマメが、ルアーに反応した。おそらくこちらの存在には気付いていない。間髪いれず、アップストリームで同じラインを正確に通す。ロッドワークを駆使して、執拗に誘いを掛ける。魚の活性に頼るのではなく、ヤマメが本来持っているはずの、好奇心や闘争心を刺激する。その5投目。ヤマメの興奮が一気に高まった瞬間、連続して強くヒラを打たせ続けたミノーに釣り人がわずかな喰わせのタイミングを与えると、ヤマメはギランッと身を捩るようにしてミノーにかじり付いた。

 浅瀬に置いたランディングネットに、飴色をした雄のヤマメが横たわっている。46cmという驚くべき大きさでありながら、ファインダー越しにも青いパーマークがしっかりと確認できる。贅肉のない完璧なプロポーションを誇る、まさに野性の塊のようなヤマメが伊藤のネットに収まったのだった。
 本当に純血を維持した天然種なのか。何より重要なことは、その可能性を残したヤマメ達が、今もこうして川に息づいているということだろう。そして言うまでもなく、その川とヤマメを支えているのは周囲の鬱蒼とした森に他ならない。いいヤマメが生きる川には、決まって豊かな自然がある。森の恩恵をたっぷりと受けた川は、常に魅力的な可能性を秘めている。素晴らしいヤマメをひっそりと育んでいる深い森があるからこそ、僕らは釣りと魚に没頭して、川を歩くことができるのだ。













「3週間越しの再会」 伊藤秀輝 #12
2008年9月中旬、岩手県
文=丹律章
写真=伊藤秀輝

タックルデータ
ロッド:イトウクラフト/エキスパートカスタムEXC510 ULX
リール:アブ/カーディナル3
ライン:バリバス/スーパートラウトアドバンスVEP 5ポンド
ルアー:イトウクラフト/蝦夷50S


 ここ数年、伊藤秀輝の釣りはあわただしい。
 通常の過密な仕事の合間を縫って、朝駆けのみの釣り。仕事を抜け出しての夕方だけの釣り。雑誌の取材などの場合はまる1日の釣りになることが多いが、プライベートの釣りにおいては、ほんの2時間の釣りや、何かのついでの釣りになることが多くなってきた。
 休みの日に出かけるついでに、寄り道して気になっているポイントで釣りをする。用事を済ませた帰りにちょっと遠回りして川に寄ってみる。そんなことがほとんどだ。
 9月半ば。この日も出かけるついでに、早めに家を出て和賀川に立ち寄ってみた。
 9月。つまり産卵前。産卵を意識した魚を相手にする秋の釣りだ。その難しさについて改めて伊藤に聞いた。
「釣りの内容は春とそれほど変わらないんじゃないでしょうか。魚のいる場所を読む能力とか、魚のタナにルアーを合わせてやることとか正確なキャストとか。ただ秋には、ミスが許されなくなってくるということ。春なら1回くらい失敗しても、次のキャストでも魚が反応するかもしれないけれど、秋のヤマメは最初のキャストで反応させなければ2度目はまずないんです。春なら少しくらいタナが合ってなくても食ってくる場合があるけれど、秋はそうはいかない。アプローチから食わせまで、全ての面においてシビアになるのが秋だと思います」
 15年前はそれほどではなかった。もうちょっとおおらかな釣りができていた。ミノーも1種類で良かったし、やる気のあるヤマメが今よりたくさんいて、今より簡単にアタックしてきたのだ。
 それが今ではフィッシングプレッシャーによってヤマメがすれ、釣り人はシビアな釣りを求められる。だからこそ、ルアーにも多面性が求められ、性質の違うルアーが必要になってくる。
「アップストリームでもっとゆっくり引きたいからバルサだとか、ミノーをもうワンランク底に近く泳がせたいからタイプ2だとか、こういうルアーは昔も有効だっただろうけれど、以前はそれが無くても魚が釣れた。最近は1種類じゃ歯が立たないことが多くなってきた」
 川を歩いて目の前に現れるポイント。そこでどのルアーを結ぶか。1投目で決めなければならないからこそ、それは重要だ。勝負はすでに始まっている。
 そして釣り上げたのが、尾ビレの赤いオスヤマメだった。サイズは35~36センチだろうか。
「ここは過去にいい思いをしているので、年に何度か来てみるんです」
 実は伊藤は、3週間ほど前に、下流のポイントでいいサイズのヤマメを掛けている。しかし、僅かなアタリのあと、3回の首振りでその魚はバレてしまった。
「多分それがこの魚だと思うんです。バレたときに大きさは確認しているし。この川におけるこういうサイズの密度とか、あれからの雨量とかを総合してみるとね。で、同じ魚だっていうことを前提に考えると、今度は面白い事実が浮かんでくるんです。それは、1度口を使って、しかも水面で跳ねてハリから逃げた魚、それがもう1度口を使うことがあるってこと。それまで、そうは思ってなかったんですよ。あれくらいのスーパーヤマメのサイズで、一度フッキングして、しかも派手にバレた魚は、3週間くらいの時間を置いたとしても、または別の場所に移動したからといって、ルアーに反応するようになるとは思ってなかったんです」
 もちろん、サイズの小さな、経験値の低い魚ならそれはあるだろう。だが、30センチ台の半ばまで成長した狡猾なヤマメに限っては無いだろうと伊藤は考えていたのだ。
「思い出してみると、口に折れたハリが刺さったままの魚とかも釣ったことがあるから、確かに大きなヤマメが再び口を使うということはあるんですよ。そこまで成長する個体だから、貪欲な食欲があるってことなのかもしれません。つまり、ルアーを泳がすラインとか、泳がし方とか、着水時のコントロールとか、そういうディテールを完璧にすれば、エサをとりたいという本能が、これまで生きてきた中で身につけた慎重さに打ち勝つという状況を作り出すことができる。魚は釣れるってことなんですよ」
 もちろん、絶対に2度と口を使わない魚はいるだろう。でも、全てが反応しないわけじゃないってことがこの魚によって分かった。
「難しいけれど、スイッチを入れることは不可能じゃない。だから、自分の腕を磨きなさいってことなんです。これまでは、その領域の魚は、技術で食わせることはできない。なぜなら口を使わないから。そう思っていた。自分の努力ではどうにもならないと思っていたんだけれど、そうじゃないらしい。それは自分の技術の影響下にある。自分の努力でどうにかなるかもしれないということです」
 全ての釣り人が、途上にある。どの頂を目指すか、自分が現在どこにいるかは人それぞれだが、釣りの途上にあることは変わらない。伊藤もまた、渓流を歩きヤマメと対話する旅の途上にあり、ヤマメ釣りの頂を目指しているのだ。  FIN











「川を読むこと」 伊藤秀輝 #11
2007年9月29日
岩手県×伊藤秀輝、佐藤英喜
写真と文=佐藤英喜

タックルデータ
伊藤
ロッド:イトウクラフト/エキスパートカスタムEXC510ULX
リール:アブ/カーディナル3
ライン:バリバス/スーパートラウトアドバンス5Lb
ルアー:イトウクラフト/バルサ蝦夷50S、蝦夷50SタイプⅡ

佐藤
ロッド:イトウクラフト/エキスパートカスタムEXC510ULX
リール:アブ/カーディナル3
ライン:バリバス/スーパートラウトアドバンス5Lb
ルアー:イトウクラフト/蝦夷50S、蝦夷50DEEP



 2007年の9月下旬、伊藤さんと久しぶりにヤマメ釣りをしたときのこと。気付いてみると、伊藤さんに会うのも、岩手の渓流を歩くのも、そして釣りをするのもおよそ一年振りのことだった。まあ、一年でなにが変わるわけでもないのだが、ただ、釣り人の数にはあらためて驚いた。たまたま人が集中している所に行ってしまった可能性もあるけれど、まだ夜も明けきらないうちから釣り人のものだろう車を何台も見かけたし、じっさい釣りをしていても、これはかなりエスカレートしているなと思った。
 山に入って、渓流のヤマメをルアーで釣るという遊びにはまっている人が最近増えているのか、もしそうだとしたら、まったく知らない人たちとおんなじ価値観を共有しているような気がして、少しほっとしたりもするけれど、いい魚が釣れるかどうかという点だけから見ると、ガツガツと魚が釣りたくてたまらない僕は勝手ながらちょっと困る。沢沿いの細い林道に、でかい四駆がどかどかと止まっている様子を冷静に眺めてしまうと、大袈裟じゃなく僕なんかは、一匹のきれいなヤマメがすごく遠い存在に思えてくるのだ。
 サクラマスとかアメマスとか魚種や釣り場によっては、釣り人が増えたぶんだけ全体の釣果が上がるというケースもなかにはあると思うけれど、こと渓流のヤマメに関して、それはあり得ないと思う。人が入ったぶんだけ、魚がいなくなる、というより、釣れない魚が一気に増えていく。そういうプレッシャーにすごく敏感な魚だから、いまのヤマメ釣りは釣り人の技量によって結果に大きな差が出てしまう。
 と、もっともらしいことを書き散らしたところで、じゃあどうすればいいのだ?と訊かれたら、残念ながら僕に偉そうに語れるものは何もない。経験不足なのか、それとも単にセンスがないのか、おそらくその両方だろうけど、どんなに理論として知っていても、言葉では言いつくろえても、それを自然の生き物相手に実践するのはすごく難しいことで、だからこそ、いままで見てきた伊藤さんのヤマメ釣りは衝撃の連続だった。「Troutist」の編集に携わっていた数年間、理屈ではなく、その読みと技術の確かさをきちんと結果として示してくれる、手にした魚で釣りを教えてくれる釣り師が伊藤さんだった。

 この日もそうだった。
 朝一、まず僕らは小さな支流に入った。予想通りヤマメの反応は鈍い。ルアーを追う魚の影すらなかなか見えないことに軽く落胆しつつ、ちょっと釣り上がると、深く掘れた淵が現れ、そこで伊藤さんが足を止めていた。同じ立ち位置から、同じスポットに、低い弾道の同じライナーで、バルサミノーを静かに投げつづけている。そして、15分とか20分とか、それくらいは経ったころ、ようやく伊藤さんの操るミノーにヤマメが口を使い、バシャッと水しぶきが上がった。ネットに掬ったのは出会い頭ではなく、あらかじめ魚の着き場を読んで、粘るべき場所で粘って釣れた33センチ。
 こういう日の伊藤さんの行動はとりわけ素早い。そのヤマメを流れにかえすと、すぐに車に戻って別の川へ向かった。水が合わなくてヤマメの活性が低いとか、魚のスレ具合が限度を超しているとか、とにかくこのまま釣り上がるのは賢明じゃないと判断したら、迷わず次の川へ移動する。まったく躊躇しない。それだけ川を知っているということが、長い長い経験の証しでもある。
 この日はさすがにシーズン終盤ということで、どこに行っても魚のスレを強く感じた。2匹目の尺ヤマメが出たのはもう昼を過ぎ、たしか4本目の川を探っていたときのこと。ただ、伊藤さんの読みは確かに的中したわけだけれど、そのヤマメは、ひょんなことから僕の手に収まったのだった。
 僕にとっての幸運は、その川へ降りると、すぐそこにあった風倒木にサワモダシというキノコが群生していたこと。さらに、伊藤さんはそういう山の幸をけっして見逃さないということ。「これ、ダシがよく出て、味噌汁とかに入れると最高なんだ」そう言って夢中にサワモダシを採りはじめた伊藤さんの背中を尻目に、僕はひとり上流を目指した。だって、キノコのことは伊藤さんに任せておけば問題ないわけだし、それにふたりで釣り上がるには川の規模も小さすぎる。そんなわけでざぶざぶと釣り上がってまもなく、薄い流れのさらっとした瀬に差し掛かった。その川は、河川規模からは想定しづらいほどの深い淵が散在していて、いいヤマメは間違いなくそこに入っていると思ったのだが、やはり釣り人によるプレッシャーのせいか、そういう深場はまったくの無反応だった。みんなが攻めるだろう深場から逃げ出たそのヤマメは、浅い瀬に出ていたのだ。インジェクションの5センチ蝦夷を、なんと一発で喰った。
 こんな渋い状況下で尺ヤマメを一匹ずつなんて、僕としては文句なしの結末。いるところにはいるし、やっぱり諦めたら駄目ということか。一本の川を無心に釣り上がるのじゃなく、冷静に川を読むことで、時として結果がガラリと変わる。目指すべきレベルは、まだまだ、上にあるのだ。











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