「二度追わせ」 その1 伊藤秀輝 #30 |
2011年8月、岩手県 文と写真=佐藤英喜
TACKLE DATA rod:Expert Custom EXC510ULX /ITO.CRAFT reel:Cardinal 3 /ABU line:Super Trout Advance VEP 5Lb /VARIVAS lure:Balsa Emishi 50S[GYM] /ITO.CRAFT
|
|
初めてそのシーンを見た時、僕は文字どおり驚愕した。 それまで自分なりに楽しんでいた渓流釣りに、こんなにも奥深い領域があったのかと、すっかり打ちのめされた気分になった。そして、この釣りがますます面白くなった。 今から7、8年前の、とある渓でのことだった。
伊藤秀輝がミノーをキャストするのを、僕は後ろから見ていた。するとスナッピーなトゥイッチでヒラを打たせた蝦夷に、様子をうかがうようにヤマメがすーっとチェイスを始めた。どこかヨソヨソしい追い方だが尺を優に超えている、いいヤマメだ。 結果からいうと、このチェイスでそのヤマメはルアーにバイトしなかった。正確にいうと、あえてバイトさせなかったのだ。そのとき伊藤は大袈裟じゃなく、手元の操作でミノーをコントロールしながらヤマメをも意のままにコントロールしていた。 「ルアーに対する魚の追い方を見て、このポイントの流れ、このミノーの引き方では無理にバイトに持ち込んでもバレる確率が高い、っていう判断だよね。追い始めた時点で何か不信感を抱いてるヤマメは確かにいるし、1~2mのチェイスで、ヤマメのルアーを噛む力を察知する。このまま食わせたら噛む力が弱くてバレやすいなと思ったら、それが魅力的な魚であるほど、強引にはならずあえて元の着き場に戻してやって、次のキャストで確実に釣る道を選択する。深追いさせて釣り人の気配を悟られたり、足下で皮一枚のバイトになったりするよりは、その方がずっと釣れる確率は高まる。いいヤマメほど、一回バラしてしまったら次のチャンスは二度とないからね」 最初のチェイスで足りなかった何かを、この時は立ち位置を微妙に変えることで補い、よりガッチリとルアーにバイトさせる。そして伊藤は次のキャストで、その尺ヤマメを釣り上げたのだった。 この『二度追わせ』は、伊藤の釣りにおいては当時から特別な芸当でもなく自分でフィールドで考えて至極当たり前のようにこなしていたものだったが、初めて目の当たりにした僕はとにかく驚いた。尺ヤマメがチェイスしている真っ最中に、僕ならルアーを食わせることしか考えられないその切迫したわずか2秒、3秒の間に、伊藤の頭の中には余裕と他の選択肢の引き出しがまだまだあるのだ。あえて最初のチェイスでは食わせず、二度目のチェイスで確実に釣るという発想と、それを可能とする技術が存在することが僕は信じられなかった。
どこの渓谷もルアーや釣り人の存在を知っているシビアな魚で溢れている今、伊藤がこの『二度追わせ』を駆使する場面は増えており、ここで紹介している32cmのヤマメも、その最初のチェイスから判断して、あえて二度追わせて釣り上げた魚だった。 伊藤の釣りに同行するとこうしたシーンを目にする機会は少なくないのだけど、そんな今でも疑問に思うことはたくさんある。 まず何より、元の着き場に戻したヤマメがそのまま沈黙してしまうという不安はないのだろうか? 伊藤は、「ない」と言い切る。 「不安はないというより『二度追わせ』は自分にとって、より確実に釣るための安全策だから。絶対に二度目のチェイスで引き出せるという確信があるからこそ、最初のチェイスでは食わせない。そのまま沈黙して魚が出てこないとしたらそれは釣り人の判断のミス。もちろん、この魚が反応するのは一度っきりだなと判断した場合は、その一発目の反応で口を使わせることを考えるよ。それとシチュエーション的に、たとえば立ち位置やルアーの着水点がそこしかないとなったら、バレる確率が五分五分でもそこで勝負する。ひとつとして同じ状況はないし、魚の反応も一匹一匹が違う。そこを見極めて、仕掛ける。これ!っていう絶対的なパターンなんてないわけでさ、あえて二度や三度追わせて食わせるにしても、その時その時のポイントや魚の追い方によっていろんな要素が複雑に絡み合って成り立ってるんだよ」 伊藤は、意味や理屈を分からずにいたずらに勝負を持ち越しても、せっかくあった釣れる確率を逆に下げることにもなるという。 話を聞けば聞くほど、到底僕には真似できないなと思いながら、やっぱりこの釣りの面白さと奥深さにますますのめり込んでしまうのである。
【付記】 けっして理論倒れにならない超現場主義、小手先の技術ではなく魚の本質を見抜いた駆け引き。それらが凝縮した『二度追わせ』。今回はそのベーシックな部分について触れましたが、ヤマメ釣り師なら興味津津のさらに踏み込んだ話も聞いていますので次回をどうぞお楽しみに。 いつもながら、こちらの質問に対し溢れるように出てくる経験の言葉に、自分が触れている世界にはまだまだこんなにも面白い未知の領域があったのかと今も驚くばかりです。
|
        |
|
|
「流れを支配する山夷50SタイプⅡ」 伊藤秀輝 #29 |
2011年9月、岩手県 文と写真=佐藤英喜
TACKLE DATA rod:Expert Custom EXC510ULX/ITO.CRAFT reel:Cardinal 3 /ABU line:Super Trout Advance VEP 5Lb /VARIVAS lure:Yamai 50S Type-Ⅱ proto model /ITO.CRAFT
|
|
昨年9月、とある渓を釣り上っていた時のこと。 伊藤はこの釣行で、34cmの素晴らしいヤマメをノースバックに収めた。背中がパワフルに盛り上がり、パーマークを色濃く浮かべた雄。 この時、伊藤が使っていたルアーは2012年発売予定の山夷50SタイプⅡ。ほぼ完成に至ったプロトのテストを含めた釣行だった。 渓流域における5cm山夷の性能を、あらためて聞いた。 「山夷は、速く複雑な流れの中でもバランスを崩さずに綺麗に泳いで、なお且つロッドワークで機敏にアクションしてくれる。流れに強く浮き上がりづらいから、クロスからダウンの釣りにはめっぽう強いよね。それでいて、アップでのヒラ打ちのアピール力も盛り込んである。アップ、サイド、ダウン、どんなアプローチでもストレスなく使えるし、あらゆる流れで安定して泳いでくれるから、釣りをしてて大きな安心感と余裕が生まれる」 釣り場が渓流だからといって、常にアップストリームで釣るわけではない。 アップストリームだからこそ釣れるヤマメがいる。その一方で、アップクロスだからこそ、あるいはサイドだからこそ釣れるヤマメもいるし、ダウンでミノーを送り込んで初めて反応するヤマメもいる。渓流とはひと口にいっても、ポイントや状況は千差万別であり、今どきの手強い尺ヤマメを釣り上げるには柔軟に釣りをアジャストさせる臨機応変さが不可欠であることを、伊藤秀輝のヤマメ釣りはいつも雄弁に物語っている。 「確かに、アップストリームにはアップストリームの大きな有効性があるけども、シチュエーションによってはもっと効果的なアプローチも当然あるよね。魚に気配を悟られない立ち位置、どこでどうルアーを見せてどこで食わせるか、バレにくい食わせの角度、ランディングする場所、本当にいろんな要素が絡み合って、それをトータルで考えて一番いい形を選択する」 常々伊藤が口にしていることだが、一辺倒な釣りでコンスタントに釣れるほど、今のフィールドは決して甘くない。だから使うルアーには、あらゆる状況や使い方に対応してくれる汎用性が備わっていてほしいわけだが、その点でいうと山夷の持つ許容範囲の広さは特筆すべきものだ。 「一般的には、その許容範囲を広げすぎると、ここぞという場面での性能がガクッと落ちてしまって、シビアな状況ではとても使えないルアーになりがちなんだけど、山夷は例外。このバランスの良さはバルサミノーに近い感覚だよ。それと、山夷はキャスティングの面でも大きなアドバンテージをもたしてくれる。細身のボディで飛行姿勢も安定してるから、飛距離が出るし、ピンスポットへのコントロール性能にも優れてる。投げても誘いを掛けても、渓流釣りがラクに楽しめるルアーなんだ」 さて、34cmのヤマメはどのようにして釣り上げられたのか。 ポイントは淵。絞られた瀬の流れが、上流左岸の岩盤に当たり、深緑色の淵となって広がっている。仮に、その絞りを純粋にアップストリームで攻めようとすると、左岸は岩盤が切り立っているのでどうしても川に立ち込まなければならない。伊藤は全く迷いのない足取りで、右岸の開けた河原に静かに立つと、流れの向きに対しほぼ直角にサイドの角度でミノーをキャストした。 「ヤマメの警戒心を不用意にあおらないよう、河原を有効に使ってアプローチするメリットがこの時は大きかった」 ポイントとの距離感、魚に対する角度、間合い、大抵のことはすでに体が知っている。伊藤の体が自然と動いた先がそのポイントでの理想的な立ち位置だ。それだけの経験が、この釣り人の引き出しには詰まっている。 たとえその日魚の活性が低く、川全体に反応がまばらでも、決して雑にならず、細やかな神経を常に張り巡らして釣りをしている。伊藤が釣り上げる一匹の尺ヤマメの背後にあるのは、いつだってこうしたとても小さな可能性の積み重ねなのである。 矢のように放ったミノーを絞りの白波に紛らせるように送り込んで、すかさずヒラを打たせた。伊藤が動かしているのはいつものように手首だけで、気配は完全に消している。山夷50SタイプⅡがキビキビと左右へきれいにヒラを打ちながら、U字の軌道を描き始める。流れにすっと馴染みつつ、トゥイッチにも機敏に反応し、なおかつ、浮かない。ルアー自体が絶妙にレンジをキープしてくれる。ちょうど斜め45度の角度に来たところでミノーをステイさせ、さらに細かくトゥイッチで刻んだ。理想的な誘い方も体が分かっている。意識は、そこでアタックしてくるはずの魚に集中している。 すると、じれったく踊らせたミノーのきらめきに狙い通りにヤマメがヒットし、ごぼごぼと水飛沫を上げた。伊藤の差し出したネットに幅広の魚体が収まるまで、あっという間の出来事だった。淀みのない流れるような釣りに、釣り人の繊細さと技術が凝縮して見えた。 「アプローチひとつで、着水点ひとつで、ヒラの打たせ方ひとつで、魚の反応はぜんぜん違ってくる。いかに小さなパーツを丁寧に積み重ねていくかだよ」 知れば知るほど奥の深い釣りなのだ。だから僕らは、この釣りが面白くてしょうがない。
|
       |
|
|
「適応能力」 伊藤秀輝 #28 |
2011年9月上旬、岩手県 文と写真=佐藤英喜
TACKLE DATA rod:Expert Custom EXC600ULX /ITO.CRAFT reel:Exist Steez Custom 2004 /DAIWA line:Super Trout Advance 5Lb/VARIVAS lure:Emishi 50S 1st Type-Ⅱ[BS]/ITO.CRAFT
|
|
ヤマメ釣りをしていて、こんな経験はないだろうか。 いいサイズのヤマメがルアーに反応したが、食い付くには至らなかった。そこで深追いはせず、日を改めて再訪することにした。 ところが、期待に胸を弾ませながらそのポイントを攻めるも、うんともすんとも言わない。そこにいるはずのヤマメが出てこないのだ。 なぜか? 前回の攻めでルアーにスレてしまったのか? 誰もがそれを疑うし、ヤマメが着き場を変えた可能性もなくはないが、とにかく全く反応がない。 その事態を伊藤はこう考える。 「それはね、ルアーに対するスレというより、釣り人の存在そのものに魚がおびえてしまったんだよ。前回の釣行時に発した、自分の河原を歩く音や流れを漕ぐ音、もしくはその後に川を歩いた他の釣り人によって、ヤマメが『人』に警戒心を抱いてしまった。ルアーにスレてるだけの魚なら技術を駆使することで釣ることは可能だけども、人の存在におびえてしまったヤマメはそうはいかないんだ。大きなヤマメだったらなおさらで、例え一週間待っても、例え水の条件がハマっても出てこないっていうことは今では当たり前だよ。例えそのヤマメがまたルアーに反応したとしても、人に警戒した魚は本気では噛んでこないから、食ってもバレる確率が高い」 タイミングさえハマれば釣れるとか、ポイントさえ良ければ釣れるとか、もはやそんな考えが容易く通用する時代ではなくなってしまった。 こういう話を聞くといつも感じるのは、フィールドや魚が変化していくそのスピードの速さだ。 いま技術や道具の面で釣り人が必要とされている最も大切なものとは、その変化のスピードについていく適応能力ではないだろうか。ヤマメはどんどん賢くなり、よりシビアな釣りが求められている。前に伊藤が、「釣り暦何年とか、単純にそういうことじゃないよね」と言っていたのが忘れられないが、本当にその通りだと思う。変化に順応できなくなったら、スピードについていけなくなったら、目標とする魚は遠ざかるばかりだ。そしてその言葉を僕が聞いたのは、まだ現在ほど釣り人の数が多くなかった頃であり、当時から、いやそれよりずっと以前から、伊藤の川や魚との向き合い方は根本的なところで少しもブレていないのである。だからこそ釣り人が増加しフィールドに掛かるプレッシャーが加速度的に高まった今でも、彼は素晴らしいヤマメを見せてくれる。
2011年9月。 雨が降りそうで降らない曇り空の下、伊藤はとある本流筋を釣っていた。 本流でも、「ヤマメが釣り人の存在にスレている」という状況に変わりはない。まだ朝の早い時間ということもあってこの時は誰もいなかったが、普段はひっきりなしにアユ師が訪れ、流れに立ち込んで長竿を立てているのがいつもの風景だ。今日は一番乗りでも、昨日までのプレッシャーがきっと蓄積している。 伊藤の場合、ひらけた本流だからと言って釣りが雑になるようなことは決してない。狙いを定めたスポットをロングキャストで射抜き、もちろんサミングを綺麗に決めて、静かにルアーを着水させる。いつものごとく流れるようなスムーズさで丁寧に魚の反応を探っていく。 浅い早瀬が続いて、川がカーブしながら徐々に水深を深めていくポイントで、水中の蝦夷50S 1stタイプⅡをトゥイッチで細かく操作している。ここでも魚のスレを考慮して、広範囲にサーチするというよりは広いポイントを細かく分解して、追い幅の短いヤマメの衝動的なバイトを誘っている。一回は高まるだろう魚のボルテージ、その一瞬の反応をバイトに繋げるのだ。 着き場を点で読む力、状況に合わせた誘い、そして浅いバイトへの対処。 わずかな違和感に瞬間的にアワセを決めると、伊藤はそのカーブのエグレから32cmのヤマメをあっという間に釣り上げたのだった。思い描いたパーツがぴたりと合致した。 「このポイントなら、もうちょっとデカイのがいると思ったけどなあ」 そう笑みを浮かべながら読み通りの一尾に目を向ける。 今年も、来年も、そして再来年も、ずっといい魚を見続けたいから、止まることなく釣りを磨き続けていく。さらに経験を積み上げていく。それが伊藤秀輝のヤマメ釣りだ。
|
      |
|
|
「川で学ぶ」 伊藤秀輝 #27 |
2011年8月30日、岩手県 文と写真=佐藤英喜
TACKLE DATA rod:Expert Custom EXC510ULX /ITO.CRAFT reel:Cardinal 3 /ABU line:Super Trout Advance VEP 5Lb/VARIVAS lure:Balsa Emishi 50S[AU]/ITO.CRAFT
|
|
盆を過ぎ、「空気が秋めいてきたな」と思っていたら、夏の猛烈な暑さがぶり返した。 そんなある日、早朝の森を伊藤秀輝と歩いていた。 伊藤が、ヤマメ釣りの難しさと楽しさについて話を始めた。 「季節の進み具合で、攻め方、誘い方は変わるし、先行者や通っている人のクセによっても、その日その日でヤマメのスレ方、着き場は違うから、それに合わせた釣りをしなければいけない。芯に入ってる魚、カケアガリに着いてる魚、キワに着いてる魚、瀬の肩に着いてる魚、それぞれの理由があってヤマメはそこに着いてる。自然が舞台だからね、同じシチュエーションは1つとしてないんだよ」 そして伊藤は、日々刻々と変化するフィールドで、思い通りに釣りを組み立てるにはあらゆる状況に対応するポテンシャルを持った、トータルで優れたルアーが絶対に欠かせないと言う。 「釣りは、人工的に作れられた競技場でやるスポーツとは全く別物だから。目まぐるしく変わっていくポイントや魚にきっちり対応してくれるルアーじゃないと、100%攻め抜くことはできない」 では、それぞれのシチュエーションに応じた攻め方とはどんなもの? という質問を投げかけると、伊藤はこう答えるのだった。 「それを聞く? それって簡単に聞いていいものなの(笑)? ベーシックと呼べる攻め方はあるけど、今のフィールドはそれが当てはまらないケースが多いんだよ。例として、淵尻の浅いカケアガリに着いてる尺ヤマメがいるとするよね。普通に考えてそのヤマメは、エサを捕食しやすい場所を陣取っているようにも見えるけど、実は、流芯の通る深い場所はいつも釣り人に攻められているために、それを回避する理由で浅いカケアガリに定位している、というケースもある。当然そういう状況では釣り人が淵の中央に近付いた時点でゲームオーバーだよ。離れた下流から静かにアップで攻めなければその魚とのゲームは成立しないし、そのルアーへの反応の仕方が、次の釣りの組み立てに繋がるんだ。それに、そういうことは自分でひとつひとつ発見して、少しずつ自分の引き出しを増やしていくのが面白いんでしょ。少なくとも俺はそうやってきたけどなあ。なぜ釣れたのか、なぜ釣れなかったのか、何年も何年も考え抜いて今に至るわけで、その答えを簡単に教えられてもね、面白くないと思う。せっかくの楽しみを放棄してるようなものだよ。やっぱり釣りって、冒険だから。未知のものを相手にしてるからワクワクもするし面白いんだよ。例えば、ドラマの結末を最初に聞いてしまったら面白くないでしょ? 鬼ごっこで誰がどこに隠れてるか分かってたら楽しくないでしょ? 目先の結果にとらわれないで、毎回毎回、釣れても釣れなくても頭を働かせて考え続ければ、答えは見つかっていくんじゃないかな。それが釣り本来の楽しさだよ」
薄っすらとした朝モヤの中、深い森を抜けると、見事なまでに透き通った流れが僕らを迎えてくれた。伊藤は5cmのバルサ蝦夷をケースから取り出した。 バルサ蝦夷の特性はこれまでも何度か取り上げてきたが、現在のシビアなフィールドにおいてその性能はやはり突出している。プラスチックの蝦夷や山夷も、プラスチック素材のポテンシャルを突き詰めたルアーだが、素材自体が高い浮力を持つバルサを使うことで、バルサ蝦夷はプラスチックミノーでは到達できない領域のハイレスポンスな泳ぎを手に入れた。 もちろん、バルサ製のミノーだったら何でもいいかと言うとそうじゃない。 「単にバルサミノーだからといって、プラとほとんど性能が変わらなかったら意味がない。バルサ素材の特性を生かしきった製品だからこそ可能な泳ぎ、攻め方があるんだよ。とにかく立ち上がりが良くて、同じ距離の中で、より手数の多い多彩な誘いをかけられる。前にも言ったけど、蝦夷50Sファーストと比べてみると連続してトゥイッチをかけた時に、バルサ蝦夷は約1.3倍はルアー自体の振りが多いし、ヒラも多く打たせられる。それだけヒラを打ってからの起き上がりが速いってことだけど、蝦夷50Sファーストだってヒラ打ちに特化したミノーだからね。そのさらに3割増しの泳ぎとヒラ打ちと言ったら、これはもう、とてつもなく大きな優位性をもたらしてくれる。より早くヤマメの闘争心に火を点けられるし、チェイスしてきた魚を見ながら、『ここでこんなヒラを打たせたい』っていう狙い通りの誘いをもっと素早く、もっと効果的に次々と展開できる」 単純に考えて、釣り人がトゥイッチの技術や攻めを3割向上させると言ったらとても大変なことだけれど、それだけの優位性をルアーの性能が上乗せしてくれる、ということである。ズバリそれが、バルサ蝦夷が釣れる理由なのだ。 この日も伊藤の操るバルサ蝦夷に、いいヤマメが反応を見せた。 小さな落ち込みから続く流れの芯が対岸にぶつかり、その少し下流に、ヤマメの着きそうな流速、ヨレが出来ていた。 ヤマメはやはり狙い通りの筋からミノーを追って出た。 最初は1mほど追ったところで元の着き場に戻っていたヤマメを、伊藤は次のキャストでさらに長い距離を追わせ、はた目にはいとも簡単に口を使わせた。しかしそこには、釣り人の濃密な経験と技術、そしてルアーの性能が凝縮している。 「今のヤマメは、ここまで見てるのか!っていうくらい、多くの釣り人が気付かないようなちょっとした違いを見極めてる。ルアーの動きを本当によく見てる。それに対応していくには、よりシビアにルアーの泳ぎや操作を考えていく必要があるよね。その時、その瞬間の状況判断と誘いのバリエーションが求められる。すごく頭を使うし難しいことだけど、それが出来ると本当に楽しい。だからこそヤマメ釣りはやめられないんだよね」 【付記】 伊藤のヤマメ釣りを見ていつも印象に残るのは、魚が多少スレていても、何かの拍子に糸口を見つけて釣果に結びつけてしまうことです。自分の釣りを状況に合わせて細かくアジャストさせるというのは、そう簡単にできることではありません。時間をかけて、必死に考えて、時には遠回りもして、長いあいだ川で学んだことが今の釣りに繋がっていると彼は言います。そしてそのプロセスが釣りの楽しさだと。それはつまり、ビギナーこそ、まだまだいっぱい答えを見つける楽しみがあるということだと思います。
|
         |
|
|
「川を守るということ」(放流活動) #26 |
岩手県雫石川水系×伊藤秀輝
|
|
いい魚と出会うために、今釣り人に求められているものは何だろう? きっとそれは高性能なタックルや高度な技術だけではない。 伊藤秀輝は、川や魚を守ることにこれまで以上に意識を向けていく必要があると言う。彼は釣り人として得てきた経験と知識、そして現場で強く抱いている危機感にしたがって、確かなアクションを起こし始めている。そのひとつが放流事業への関わりである。 伊藤が長年のライフワークの対象としている本ヤマメ、その貴重な天然種の血統を保護する意味でも、放流事業の持つ重要性は果てしなく大きい。
ここに掲載している写真は今年10月初め、雫石渓流会としてヤマメの放流に参加した際の様子。 雫石渓流会は、より質の高い放流事業と天然種の保護を目指した調査活動、および釣り場の環境保全などを目的に、伊藤秀輝が中心となり有志10名で結成され、放流事業への関わりの他、違法な密漁、投網やヤスの使用などを取り締まるパトロール活動もボランティアで行なっている。伊藤を始め会員のほとんどが雫石川漁協の組合員になっており、漁協の中から、ヤマメやイワナに対する認識を現状に即した方向へと変えようとしているのだ。 放流については、より効果的に、計画的に行なわれるよう、さまざまな論点から問題を提起し話し合いを設けているが、例えば放流の時期に関しては、昨年までヤマメは秋に一度の放流だった。それを今年は、伊藤の提案により6月と10月の2回に分けて稚魚放流を行なった。またその2回の放流もエリアを変えて行なうことで、雫石川水系における春と秋によるヤマメの定着率の違いを見て、より効率の良い放流時期を見極めようという試みだ。 「春のシーズン中に放すと、放した魚がどんどん釣られて持ち帰られてしまうリスクがある。10月は10月で雫石は水温が低く、川にエサが少ないという問題もある。どちらにもリスクはあるけど、より雫石に合った放流時期を釣果を見ながら慎重に判断していく必要があると思う。今までこういうことを誰もやらないまま、ただ漠然と放流されてきたから。もちろん、放す稚魚にしても、雫石の環境にマッチした魚を選ばなければいけない。理想を言えば在来個体群のDNAを持った魚を放したいけれど、それを実現するにはまだ時間が掛かるのが現状で、そのためにも今はとにかく天然種の生息状況をできる限り把握すること。その分布と実態が整理できていなければ、保護もできない。今年度からは岩手県内水面水産技術センターと連携を図って、DNA鑑定を取り入れた天然種の実態調査にも着手してるし、現場で得てきた知識と合わせて、天然種の保護と、より効果的な放流事業の実現に向けて動いてる。それと稚魚の放流場所については、天然種が棲息している上流部の水域を避けるのは当然として、それまでの『少ない箇所にまとめて放す』というやり方ではなく、なるべく広範囲に小分けにして放流した。人手と手間は掛かるけど、そのぶん魚の定着を妨げる何かしらのリスクを少しでも分散することができる」
川に放すと、淵の中で戸惑うように身を寄せ合っていた可愛らしいヤマメの稚魚たち。そして、川のどこかでひっそりと種を繋いでいる本ヤマメやネイティブのイワナたち。 微妙なバランスの上に生きているこの魚たちや川の未来は、今、我々釣り人の手に委ねられていると言っても過言ではない。特にその水域にずっと昔から息づいている天然種の血統は、一度絶やしてしまったらもう二度と取り戻すことはできない。今彼らが棲息している環境は言うまでもなく過酷だ。DNA調査のサンプル採取に同行した際もそれは改めて強く実感できた。本ヤマメがいるような奥深い渓谷には、まだかろうじて豊かな森が残り、少ない水量を枯らさずに維持しているが、なかには広葉樹の伐採が進んだ森もあり、水や養分を蓄える森本来の力を失いつつある。当然その中を流れる川の状態も良いはずがない。どんどん自然が失われていく中で、水量やエサにも恵まれず、それでも彼らは今を必死に生き抜こうとしている。自分たちの種を守るために、厳しい環境に何とか適応しようとしている。 釣り人それぞれに守るべき魚や川があるだろう。大好きなヤマメやイワナも、彼らが生きていける環境も、それは釣り人にとってまさしく宝と呼べるものだ。放流のことに限らず、例えば一匹の魚を注意深く観察すること、あるいは周囲の自然環境に目を向けることも、これからのアクションに繋がる大事な一歩になるだろう。 伊藤は言う。 「ネイティブの魚たちが種を繋いできた時間に比べれば、私達が生きてる時間は本当に短いもの。このわずかな時間にその血を絶やしてしまうわけにはいかない。これからの時代を生きていく人たちのためにも、ネイティブの血筋を大切に残していきたい。いずれ本ヤマメの生態が詳しく分かって、きちんとした放流事業が確立されれば、雫石がひとつのモデルになるかもしれない。他の地域にも本ヤマメが棲息している可能性はある。同じ考えを持った人たちによって、より進歩的な河川管理が各地で行なわれれば、日本の貴重な魚や川をみんなで守っていける」
|
          |
|
|