イトウクラフト

TO KNOW FROM FIELD

FROM FIELD

FIELDISM
Published on 2011/08/01

渓を歩く、絵を描く

2010年9月某日、岩手県
文=うぬまいちろう
写真=佐藤英喜

 晩夏の陸奥の流れは、ちょっと遠慮がちなお日様をキラキラと反射させ、ボクらの全身を摩訶不思議なパターンで照らすのであった。

 ススキが穂を垂れ、少し冷たく感じた午後の川には、それでもまだ何処かにほんのりと夏の香りも残り、少し歩くとゴアテックスのウェーダーの中は、透湿性といえどもダイエットに好条件となる。

 毎日こんなことをしていれば確実に、且つ健康的に痩せる。激しく入山を繰り返す、年間釣行の多い山釣り師にデブがいないのは、きっとこんなシンプルなことが原因なのだ。

 もっとも、夜討ち朝駆けの不眠不休で川を攻める奇特な御仁も多いので、その場合健康によいのかどうかは定かではない……。

 昨今特に腹回りに余計なものがつき始め、更に後者の夜討ち朝駆けシチュエーションであるボクは、不健康なデブ……、ということになるのだろうか。

 果たしてかようなことを思いつつ、少し重い足取りで川を行くボクであったが、先を行く陸奥のアニキこと、伊藤秀輝氏は、

「あは、あは、あは~!うぬちゃんが来る前は、必ず天気が悪くなるっちやねぇ~!これ、こんなに増水しちゃってさぁ……、あは、あは、あは~!」

と、笑うのである。

 ちなみに

「あは、あは、あは~!」

というのは、アニキ独特の笑い方で、本当にこの文字の如く抜けたように笑うので、藪に入っても、笑ってくれさえすればどこにいるかすぐに解るのである。

 しかし、アニキの笑い声を聞くと、少し重くなった体のことや、仕事のアレコレなど、一切の混沌と煩わしきことが、まったく気にならなくなるから不思議である。森のマイナスイオンと相まったその癒し効果たるや、かなりのものなので、大原野に響き渡るオオシジキの嘶きや、深山に木霊するクマゲラのドラミングに勝るとも劣らないものなのである。

 さて、美しき陸奥の流れの中を二人でガサガサジャバジャバと行くのであるが、時折、ハッ!とさせられる光景に出会うことがある。

 例えばそれは逆光の中、バックハンドでビシッ!とキャストを決めるアニキだったりするのだが、千山万水(せんざんばんすい)の渓谷を背景に、瞬間、虹のような輝きを纏って飛沫とラインがキラキラと煌めき、これがもう素晴らしく絵になるのである。

 こんな眺望と出会う時、いつも思うことがある。

 この場にスケッチブックと水彩絵の具があれば……!と。

 デジタルカメラの性能が著しく向上したきょうび、カシャッ!とやれば、比較的イージーに、誰にでも素晴らしき一瞬を押さえられるようになったのだが、そういう現実のリアルな景色とは別の風景が、ボクのお脳の片隅で弾けて渦を巻くのである。

 イラストレーターの端くれであるボクの血が滾(たぎ)り、

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお~!描きてぇえええええええええええええええええええええええええええ~!」

と、熱くなるのである。

 余談であるが、

「うぉお~!描きてぇ!」

なんて、絶対に声に出して読まないように。特に勘違いされることは火を見るよりも明らかである……。

 しかし、『エクストリームアイロン』なんておかしな競技?にはまる御仁がいるこの時代、渓流に釣り具とスケッチブックと水彩絵の具を持ち込む酔狂がいてもよいではないか……、なんて常々思う次第で、実は近々それを敢行して、その道の大家になってやろう!と、嫌らしい野望を胸に今回、その予行練習ということで、ちょっとした画材をちゃっかり持ち込んでいたのである。

 コットンと純良パルプでできたお気に入りのホルベインのクレスター水彩用紙のスケッチブック。紙への定着性が良好且つ均一な、ステッドラーのルモグラフ製図用高級鉛筆。使い込んで灰色になった練り消しゴム。顔料とアラビアゴムのメディウムから作られる、鮮やかなホルベイン透明水彩絵具に、パックロッドのように短いヌーベルのネオ水彩用筆と、頑丈なスティールのパレット……。

 それらは川での使用を考慮して、防水のタッパーに細かくパッキングしてあるのだ!

 素晴らしい!我ながらカンペキ!と、思った次の瞬間、その全てを愛車、T-4ウェスティーの中に置いてきてしまったことに気付いたボク。いやはや、物忘れもとい、忘れ物(この場合両方である)が激しいボクであった。

 聞く話によると先祖代々我が家系はそうだったようで、うちの父も極めて物忘れ&忘れ物が激しいのである。そういうDNAを受け継いで、なにしろいろいろと忘れちゃうボク。だからして、T-4ウェスティーのキーは、決まっていつもアニキが管理している。移動の歳、騒ぎになるからである。

 そんなわけで構想だけが先走りした、渓流エクストリームスケッチであったが、案ずるなかれ。そろそろ嬉しいお弁当の時間である。食後にでも魂にリキを入れて、描き倒してやろう!

 さて、食いしん坊のボクはいつ何時であれ、ご飯の時間が嬉しいのだ。アニキはいつも、

「あは、あは、あは~!うぬちゃん買いすぎでねぇの?そったら食ったら、カエルみたいな腹になっちゃうよ~!あは、あは、あは~!」

と笑うのであるが、珍しいお総菜や、あまたの食材が並んだ陸奥の趣ある商店は、ボクにとっては武陵桃源(ぶりょうとうげん)たる別天地、美しき桃の花が咲き乱れる理想郷なのである。

 艶めかしい色に染められた山菜のおこわ。山吹色のカボチャの煮付けに蕗と鱒の煮物。甘い香りの大きな梨。朝採れたばかりの眩いトマト。黄色く色付いたトウモロコシは、焼いて醤油を掛けて食べるのだ。

 愛車、T-4ウェスティーは小型キャンピングカーのベンチマークたる存在で、その走りはキャンパーとしては特筆。さらに煮炊きにシャワー、そして快適な睡眠を提供してくれる実に頼れる存在で、あちこち走りすぎて、現在25万キロを超えてしまったのであるが、まだまだ足腰元気で、実に頼れる奴なのだ。

 T-4ウェスティーの右サイド、スライドドアの上にマウントされたフィアマ社のタープを展開し、コールマンの折りたたみテーブルと使い古しのガダバウトチエア初期型を並べれば、花鳥風月(かちょうふうげつ)をダイレクトに感じながら腹を満たせる、快適で贅沢な即席ダイニングルームの出来上がりである。

 余談であるが、ガダバウトチエア初期型は、脚部に新型のようなフラットな部分がないので、地面が柔らかいとズモッ!と潜ってしまい、時として後転しかねないので要注意である。しかし、地質によっては、このズモッ!を利用して絶妙なアングルをホールドできるのである。

 アウトドアではディレクターチェア型が主流となった昨今であるが、ボクはこの間抜けでいい加減なガダバウトチエア初期型が愛しくてたまらないのである。既に焚き火の飛び火で穴が開き、見るも無惨な状態であるが、畳むのは至極簡単!そして畳むとすこぶる細身なので、T-4ウェスティーのリアシート下のトランクに、4脚ぴったり収納できるのである。


 かようなガダバウトチエア初期型にデン!と腰を下ろし、ボクとアニキはひたすら飯を食らうのであった。なにしろ、朝の4時からなにも食べていないのである。

 百花繚乱、満艦飾の折りたたみテーブルの上はあれよあれよという間に片付けられ、ボクらの胃袋の中に収まっていった。素晴らしき陸奥の食材は、その芳醇さゆえ、胃により多くの血液を要求するようで、至極瞼が重くなってしまったので、アニキとボクはちょいと昼寝!と、午後のシエスタを決め込む……。

 簡易ダイニングキッチンの周りは緑萌える野芝が敷き詰められ、そしてボクらに優しく木陰を提供してくれるクヌギやコナラの老木が、絶妙な感覚で配置されていた。ここは人の手によって精魂込めて育てられた、素晴らしき野山の里なのである……。

 クヌギを背もたれに、野芝のソファーに腰を下ろして目を閉じると、吸い込まれるように眠ってしまった……。どのくらいの時間が経ったのだろうか?ふと目が覚めると、虚ろに映る午後の木漏れ日の中で、

「ピョーピョピョピョ……、ピョー……」

と、鳥のさえずりが聞こえ、クヌギの雑木林を見ると、色鮮やかなモズが枝から枝へと渡り、最後にピョン!と愛車、T-4ウェスティーの上に飛び乗った。

 カリビアングリーンの車体色が、この山里の風景に絶妙にマッチしているではないか……。

 モズはゆっくりと歩んで、パタパタと羽ばたき、緑の天幕を背景に、森の中へ消えていった……。

 その景色は、まるで夢の中の出来事のようにスローに流れ、草萌ゆる匂いと共に、目覚めのボクを幻想的な世界へといざなうのであった。不思議な心地よさと美しさに、ボクは酔いしれた。

 山紫水明(さんしすいめい)とはまさにこのことである。


 ボクはホルベインのクレスタースケッチブックと、ちびたステッドラーのルモグラフ製図用高級鉛筆をタッパーから取り出し、漠然とその景色を描き始めた……。

 そこに理由など無かったし、前記したように魂にリキを入れて、描き倒すことも必要ではなかった。ただただ漠然と木訥に、この不思議な世界を描きとめておきたい気持ちに駆られたのである。

 左手は流れるように進み、白いクレスター水彩用紙にはステッドラーのルモグラフが走った跡が重なっていく。ぐっすり睡眠中だった陸奥のアニキが夢から覚める頃には、スケッチブックの中に、その不思議な世界がクロッキーされていた……。

 ふと、ここに居眠りするアニキも描けばよかったと思ったのであるが、その出来過ぎともいえる傑作モチーフは、次回用にココロの中にストックしておこう。ボクは静かにスケッチブックを閉じて、午後の木漏れ日の中、至極満たされた気持ちに浸るのであった。

 アニキが目を擦りながらムックリと起き上がったので、二人で目覚めの珈琲をすすり、ウェーダーを胸まで上げてベルトのバックルを締め、いざ第2ラウンドへ……!


 午後の流れは朝と変わらず少し冷たかったが、ほどよく暖かな気温と相まって、とても心地よかった。温い風が吹き、川岸のススキの穂がザワザワとざわめき、その風に乗って再びモズの鳴き声が、

「ピョーピョピョピョ……、ピョー……」

と聞こえてきた。

 陸奥の秋は、もうすぐである……。

 

TACKLE DATA

ROD Expert Custom EXC510UL/ITO.CRAFT
REEL Luvias 2000/DAIWA
LINE Applaud Saltmax Type-S 4Lb/SANYO NYLON
LURE Emishi 50S & 50S 1st/ITO.CRAFT
LANDING NET North Buck/ITO.CRAFT

ANGLER


うぬまいちろう Ichiro Unuma


イラストレーター

1964年、神奈川県生まれ。メインワークのイラスト制作のほか、ライター、フォトグラファーとしても各メディアで活躍中。日本各地をゆるゆると旅しながら、車、アウトドア、食、文化風習などをテーマにハッピーなライフスタイルを独自の視点から伝えている。釣りビジョン「トラウトキング」司会進行。モーターマガジン誌の連載「クルマでゆるゆる日本回遊記」では、キャンピングカーで日本一周の旅を敢行中。